2021年3月27日土曜日

第61回 打席で前に立つと、変化球が曲がる前に打てるのか?

 変化球が曲がる前に打つ


左打者の天敵

左打者の多くは、左投手を苦手としています。

背中側から飛んでくるボールは見づらく、体が早く開いてしまうためだと言われています。

特に、左のサイドスローがアウトコースに投げるスライダーやカーブは、分かっていてもボール球に手を出し空振りをしてしまいます。



対応できなかった人

ゴジラ松井秀喜さんはNPB時代、三冠王に迫るようなものすごい活躍をしていましたが、左のサイドスローにはコケにされていました。

特に、当時阪神の遠山投手や、中日の小林正人投手にはまるで歯が立たず、彼らがワンポイントリリーフで出てくると、毎回同じようにアウトコースのボール球のスライダーを振らされていました。腰を引いて体を折り曲げ、左手を離して必死にバットを伸ばすのですが、まるで届かず空を切ります。年間で十打席以上対戦しても、ヒット1本打てるかどうかというレベルで打率は一割台かそれ以下に抑えられていました。

同じ巨人の左打者として活躍した阿部慎之助さんも、小林投手には完全に抑え込まれていましたし、さらに古くは昭和の時代、あの王貞治さんでさえも、永射保さんの左サイドスローから投げるカーブにはタイミングが合わず手玉に取られていました。


西武ライオンズで活躍したデストラーデさんは、左投手が苦手すぎてスイッチヒッターになりました。右打席でのスイングは、本来の左打席ほどの迫力はなくホームラン率も低下していましたが、それでも空振り三振を繰り返すよりはマシだと考えたのでしょう。

他にも左対左を避けるためにスイッチヒッターに転向した左打者は、少なくありません。




対応できている人

そんなNPBの歴史に延々と続く「左投手>左打者」の力関係ですが、中には例外もいます。

その一人が、中日の大島選手です。

2020年シーズンでは2年連続で最多安打のタイトルを獲得、空振り率はリーグで最も低く、三振率もリーグで2番目に低いという卓越したバットコントロールの持ち主です。

彼は、左打者でありながら、左投手に対するシーズン打率が.383と異常に高く、またホームラン1本にもかかわらず対左OPSは.927という高い数字を残しています。

左打者でありながら、左投手を苦にしない、どころか、カモにしているのです。



大島選手の対応策

なぜ大島選手は、他の左打者と異なり左投手を打てるのでしょうか?

理由はいくつかあるのでしょうが、その中に一つ、はたから見てもはっきりとわかる左対策があります。

それは、左投手のときだけ打席の前側に立つ、ことです。

チームメイトで同じ左打者の根尾選手がその理由と問うと、「逃げていく球を曲がりきる前にたたきたい。それと外の球が近くに見えるから。」(*1)と答えたそうです。


(*1)参考文献 : 中日スポーツ 2021年3月8日版 3面




前に立って、前で打つ


「変化球が曲がる前に打つ」というのは昔からよく言われていることですが、正直、ずっと絵空事だと思っていました。

しかし、プロレベルで実践して成功している人が実在しているのだから、正しい理論だったということです。

とはいえ打席の前側に立つのは極めて少数派であることから、誰でも真似できるものでも無いようです。



そこで、今回は打席の前側に立つことにより、変化球が曲がる前に打つことができるのかを検証していみたいと思います。


プロ打者のステップ幅とバッターボックスの前後幅から、踏み出し足がぎりぎり前にはみ出さないようにできる限り前に立った場合と、軸足が後ろにはみ出さないようにできるだけ後ろに立った場合では50cmぐらい前後位置に差ができるようです。
つまり同じバッティングフォームで打っても、立ち位置により、ミートポイントを最大50cm前に移動することができるわけです。

実際には投げた瞬間からボールには回転によるマグナス力が働き曲がり始めているため、「曲がる前」に打つ、というのは正確な表現ではありません。

そのため、ホームベースに近づくほど外へ外へと逃げていく軌道に対して、ミートポイントを50cm前にすることで、どれだけより体に近い位置で打つことができるか、を軌道シミュレータver.3.2でアウトコースのスライダーの軌道計算をして求めます。




左サイドスロー外角スライダーの軌道計算


[計算条件]

球速125km/h,回転数2500rpmのスライダーが、アウトコースのボールゾーンへ外れていくような角度でリリースするとします。左投手を想定しているため、y0>0になります。

4シームは参考です。




[計算結果]
左サイドスロー投手が投げた、左打者のアウトコースのボールゾーンへ外れていくスライダーの投球軌道計算結果は、以下のようになりました。

グラフ中の点は0.02秒ごとのボール位置を示しています。
右の拡大図には、通常のバッターボックス後側に立った場合を想定したミートポイント(x=18.0m)と、バッターボックス前側に立ち50cm前になった場合を想定したミートポイント(x=17.5m)におけるボールの位置を示してあります。

打席で前に立つ

ミートポイントを50cm前にすることで、左右位置は4.7cmホームベースに近づく、という結果になりました。

一方で、前で打つ分だけ、ボールがリリースからミートポイントに到達するまでに要する時間は0.016秒短くなるという結果になりました。



ボール2/3個分

つまり、今回の条件の場合、左打者は左投手のスライダーに対して、バッターボックスで50cm前側に立つことにより、ミートポイント到達までの時間が0.016秒短くなるのと引き換えに、4.7cm体の近くで打てる、ということです。

4.7cmというとボール2/3個分ぐらいの違いです。

かすりもしなかったのが、バットの先でかすってファールに逃げれるようになるぐらいの違いでしょうか。あるいはバットの先に当ててショートにぼてぼてのゴロを転がし、左打者であることを活かした内野安打が狙えるでしょうか。

また、バットの芯でとらえた時と、芯から5cm先端でとらえた時では、打球速度が6~7%程度異なる、というデータ(*2)もあります。

わずか数センチの差でも、高いレベルでぎりぎりの勝負をしているプロの打者にとっては確かな違いとして感じられているのかもしれません。


(*2)参考文献 : 科学するバッティング術、若松健太/柳澤 修監修、EIWA MOOK、2015年発行



ワンポイント、オンリー

さて、左のサイドスローは、左打者相手のワンポイントリリーフとして絶大な力を発揮しますが、その一方で先発投手として大成する人はあまりいません。

先述の遠山投手、小林投手、永射投手も先発としての実績は皆無です。

その理由は明確で、周知のとおり右打者には簡単に打たれるからです。

右打者にとっては、左打者の反対に、体の正面の方からボールが来るため軌道が見やすくなるからだと言われています。

加えて、今回の計算結果から、右打者は左打者よりも、左サイドスロー投手がインコースに投げてくる球をよりホームベース側で打てる、ということが導かれます。



インコースは前、アウトコースは後

バッターボックス内の同じ位置に立って、同じフォームでスイングした場合、アウトコースよりもインコースの方がミートポイントが前になります。体やバットの回転が進んだ状態でボールを捉えるためです。

平均してインコースの方がアウトコースよりも40cm程ミートポイントが前になる傾向がある、というデータ(*2)もあります。


つまり、サイドスロー投手が左打者のアウトコースに投げているのと全く同じ軌道の球を、右打者のインコースに投げた場合、右打者は打席の前に移動しなくても、左打者よりもミートポイントが前になるのです。

そしてその結果、同じように打席の後側に立っている左打者よりも、数センチだけホームベースよりのコースが甘い位置で打つことができるのです。

左打者が打席の前に移動することで得る効果を、右打者は何もしなくても得られているということになります。

これが左サイドスロー投手が右打者に打たれやすい原因の一つになっているのではないか、と考えられます。




死活問題

左には強く、右には弱い。はっきりとした傾向を持つ左サイドスロー投手は、左打者専門のワンポイントリリーフというポジションを確立することで、競争激しいプロの世界で生き残ってきました。

そんな彼らにとって、とんでもなく恐ろしいルール改正が迫っています。

MLBで2020年から導入された「ワンポイントリリーフ禁止」ルールです。これによりリリーフ登板した投手は打者3人と対戦、あるいはそのイニング完了まで交代できなくなります。

MLBで導入されたルールは右へならえでNPBにも導入される可能性が大です。そうなれば、左のサイドスロー投手たちは居場所をなくし、姿を消してしまうかもしれません。


とはいえ、MLBでワンポイント禁止ルールが、目的としていた試合時間短縮にあまり効果がないという結果も出ているため、廃止されるのではないかとも言われています。


個人的には、多様性もまた野球の魅力の一つだと思うので、ルールが廃止され、これからも左のワンポイントが活躍してくれるとよいなと願っています。






では、また。









2 件のコメント:

  1. 松井選手は小林正人投手とは対戦してません
    (松井は2002年までNPB、小林投手のルーキーイヤーは2003年)

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