2021年12月25日土曜日

第100回 ホームランの飛距離はどこまで伸ばせるのか?


 


だれよりも遠くに

大谷選手がホームランを打つたびに本塁打王争いや打球速度とともに、その飛距離の大きさが話題となりました。フェンスを軽々と越え上段の客席まで届いてしまう打球は130メートル、ときには140メートル以上飛んだこともあります。

フェンスを越えればぎりぎりだろうが特大の当たりだろうが、同じホームランです。遠くに飛ばすほど何かおまけがついてくるわけでもありません。

にもかからわずそれが話題になるのはそこに夢や浪漫があるからです。ホームランの飛距離
の大きさはそのバッターが持つパワーを最も分かりやすく我々に示してくれます。打球をだれよりも遠くまで飛ばすことに全ての打者はあこがれと感心を持っています。

私の個人的なNPB選手特大ホームランベスト3は、

柳田選手(ソフトバンク):横浜スタジアムバックスクリーン直撃&破壊弾
ブランコ選手(当時中日):ナゴヤドーム天井スピーカー直撃弾
吉田正尚選手(オリックス):東京ドームセコム看板直撃弾(ホームラン競争)

 です。その飛距離は推定145メートルとも、160メートルとも言われています。

一体人類はホームランをどこまで遠くに飛ばすことができるのでしょうか?実際に打つことが可能なホームランの最長飛距離は何メートルくらいでしょうか?



飛距離を伸ばす要因


打球をより遠くまで飛ばすための条件としては、まず以下のものが挙げられます。

①打球速度:速ければ速いほどよい。実測値によると120mph(=193km/h)あたりが実現可能な上限 

②打球角度:上向き30度に打ち出されるのが最適

③打球の回転:回転数2500rpm-3500rpmのバックスピン回転が最適


加えて、飛距離は天候にも左右されます。空気抵抗が変わるためです。これは選手自身ではコントロールできない要因です。

④風:追い風で風速が大きほどよい。影響が大きい。

⑤気圧:低いほどよい。MLBの球場では標高の高いクアーズフィールドが最も低い。

⑥気温:高いほどよい。空気が膨張し気圧が下がるため。

このうち風の影響が最も大きいです。


今回はこれらの最適な条件を組合せた打球の軌道計算をすることにより、実現可能なホームランの最長飛距離は何メートルか?という疑問に答えを出すことに挑戦します。



ホームラン最長飛距離の軌道計算

[計算条件]

まずは選手自身の力で打てる最大飛距離の打球軌道を計算します。上記①②③を実現可能な範囲のベストな条件として、打球速度190km/h、打球上向き角度30度、回転数3000rpmのバックスピン回転とします。

軌道シミュレーターver.3.2へのインプットは以下のようです。




[計算結果]

ベストな条件をそろえた実現可能な最長飛距離ホームランの軌道計算結果は以下のようになりました。

最長飛距離の打球軌道計算


その飛距離は156メートルです。センターフェンスのはるか36メートル上を通過していくとんでもない軌道です。





MLB史上最長飛距離ホームラン

MLBにおけるホームラン最長飛距離は、比較的信頼性が高い2015年のスタットキャスト導入後のものに限定すれば、当時レンジャーズのノマー・マザラ選手が2019年6月21日の試合で記録した153.9メートルです。

上記の計算結果156メートルと近い値です。

しかしながらこれは、ただの偶然です。

なぜかというとマザラ選手の一打は強い追い風の力により飛距離を伸ばしたことが明確だからです。baseball savantで公開されている動画(こちら)を見ると、彼のユニフォームやバックネット裏に立っているおじさんの洋服が強くはためいています。

またこのときのマザラ選手の打球速度は178km/h(110.9mph)でした。上記の計算条件よりも10km/h以上遅い速度です。大谷選手などMLBトップクラスの選手はマザラ選手よりも速い180km/h台をたびたび記録していますが、150メートル未満の飛距離となっています。



追い風ありの、ホームラン最長飛距離の軌道計算

[計算条件2]

次は天候も味方し、強い追い風が吹いていた場合を計算します。

追い風は強ければ強いほどよいのですが、あまり強すぎるとまともなプレーが困難として試合が中止になってしまいます。明確な規定はありませんが、NPBで過去に強風のため中止になった例を調べてみると、風速が常時12~15メートルであった場合が多いようです。そのため試合が行われる範囲で最も強い風として、風速は秒速10メートルとします。

その他の条件は先ほどと同様で、打球速度190km/h、打球上向き角度30度、回転数3000rpmのバックスピン回転とします。

軌道シミュレーターver.3.3へのインプットは以下のようです。



[計算結果2]

追い風が風速10メートル時の、最大飛距離の軌道計算結果は以下のようになりました。

追い風あり最長飛距離の打球軌道計算


その飛距離は188メートルです。追い風により32メートルも伸びました。

後半の軌道を見ると無風時よりも水平に近い角度で飛んでおり、空気抵抗による減速がかなり小さくなっていることが分かります。センターフェンスを越えても全然落ちてこず、さらに60メートル以上も遠くまで飛んでいきます。すごすぎて距離感が良く分からなくなってきます。

追い風だと飛距離が伸びるのはボールと空気の相対速度が小さくなりブレーキとして働く抗力が小さいからです。我々が強い追い風の中を歩いているときには歩行速度よりも風速の方が大きいため加速するように背中を押されますが、速度の速い打球の場合は追い風であっても前方から空気がぶつかってきます。また、上向きに働く揚力も同時に弱くなるため、打球軌道は無風時よりも低い弾道になります。



ミッキー・マントルは真実か伝説か?

以上のように今回の計算では人類が自力で打てるホームランの最長飛距離は156メートル、追い風10メートルの力を借りれば188メートルという結果になりました。

MLBにおけるホームラン最長飛距離は、信頼性の低い"推定飛距離"も含めるならば、ミッキー・マントルが1953年に放った一打が177メートルであったと言われています。(諸説ある中での一つです。)

日本のプロ野球では、東映フライヤーズ大下弘選手が1949年に打った本塁打が170メートルで史上最長と言われています。(これも諸説ある中の一つです。)

実際のところ、これらは随分誇張されたものだと思われます。

推定飛距離というのはかなりいい加減なものです。

「○○さんが打った140メートル弾よりももっとすごいあたりだったから150メートルぐらいだろう」と誰かが言い出して、それが新聞やテレビの人の口を介して広まってうけて定着したというレベルです。場外へ飛んだ打球の落下地点を誰かが目撃していてそこまでの距離をきちんと計測したわけでもありません。

だからずっと信じていませんでした。しかしながら今回の計算結果によれば、177メートルという飛距離も可能性としてはありえるということになりました。

頭から嘘と断じてしまうよりは夢がありますね。




では、また。



2021年12月18日土曜日

第99回 菊池雄星投手のカッター軌道をトラッキングデータから再現計算


最多投球割合    

菊池雄星投手が現在投げている4つの球種の中で、最も投球割合が高いのがカッター(カットボール)です。全投球の4割をカッターが占め、3割を占める4シームよりも多く投げられています。20年シーズンから投げ始めたと言われるこの球が21年シーズンの活躍にカギとなりました。高速で小さく変化するカッターは速い球に狙いを絞って強振してくる打者に有効です。

今回はトラッキングデータから菊池投手のカッターを軌道計算で再現します。


菊池雄星投手カッターの軌道計算

トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。これら3つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回は菊池投手のカッターについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。


[トラッキングデータ]

2021年シーズン前半(開幕から7月1日までの好調期間)の平均値です。トラッキングデータはbaseball savantのwebページから持ってきたものです。




トラッキングデータの縦横変化量をグラフにプロットすると以下のようです。オレンジ色の点が平均値で、小さい灰色点が一球ごとの変化量です。横変化量は+方向が左打席方向で、捕手側から見た変化量となっています。




[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプット値は以下のようです。

球速:v0=147[km/h], 抗力係数:CD=0.41, 揚力係数:CL=0.20
リリースポイント:(xo,yo,zo)=(2.03,0.66,1.75)[m]
リリース角度:上向き:θ=-2.0[度], Φ=-2.5[度]
ボール回転軸:z軸→x軸 : θs=92[度], x軸→y軸:Φs=-151[度]


投手方向から見た回転軸





[計算結果]

計算されたカッターの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース前端上(x=18.01m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。


菊池雄星投手カッター(カットボール)投球軌道計算2021前半



カッターの特徴

菊池投手のカッターは横に曲がりません。上空から見たx-yプロットでの軌道はほぼ真っすぐで、直線軌道に対する変化量はわずかに2cmです。意外です。

上下方向の軌道は自由落下軌道に対し上に22cmホップします。これは速球としては小さな変化量で、4シームの半分程度です。ホップ量が半分なら回転軸はジャイロスピン回転とバックスピンの中間の45度かというとそうではなく、sin30°=1/2のため完全なジャイロスピン回転からバックスピン側に30度ほど傾けた角度になっています。

カッターは単体で見ると真っ直ぐ飛んできて小さくホップする軌道です。




4シーム軌道との比較

4シームと比較するとどうでしょうか。前回計算した同じリリース角度の4シームの軌道と一緒にプロットすると、以下のようになります。

菊池雄星カットボールvs4シーム

4シームと比較すると下に28cm、右打席側に22cmホームベース上(x=18.01m)で軌道がかい離しています。上下、左右共に結構差があります。

単体ではほとんど横に曲がっていないカッターですが、シュート方向に曲がっていく4シームを真っすぐと認識している打者にとってはボール3個分ほど曲がってくることになります。右打者にとっては懐に食い込んできて、左打者にとっては外へ逃げていきます。

加えて4シームに対してボール4個分下へかい離します。単体では自由落下に対して小さくホップする球が、4シーム狙いの打者にとっては小さく沈む球になります。

140km/h後半の球速で、かつホームベースの8メートル手前(x=10m)あたりまでほぼ軌道が重なっているため、スイング開始前にカッターか4シームか見分けるのはかなり困難だと思われます。


3Dプロット

今回計算した投球軌道を3D CADソフトでプロットし、gif動画にしました。

スピードは実際と同じにしてあります。4シームと交互に再生されます。


菊池雄星投手カッター(カットボール)3D投球軌道2021前半

横方向には曲がっていないはずなのに、4シームの後に見ると随分と食い込んでくる軌道に感じられます。






では、また。


2021年12月11日土曜日

第98回 菊池雄星投手の4シーム軌道をトラッキングデータから再現計算



高速左腕    

菊池雄星投手の一番の武器は球が速いことです。年々高速化が進むメジャーリーグの中でも平均を上回る150キロ台中盤を常時投げ、今シーズン6勝目を挙げた試合ではMAX159km/hをマークしました。その速球を武器に21年シーズン前半は好投を続けオールスターにも選出されました。

来シーズンの所属チームを探し中の代理人ボラス氏も「97マイル(約156キロ)の球を投げる(先発の)左腕投手は5、6人くらいだろう。どのチームも95マイル以上を投げる左腕を望んでいる(*1)」と、強気な姿勢で売り込みをかけています。

(*1)日刊スポーツ 2021年11月11日


江夏超え

先日日本テレビで江夏豊さんの球速を推定するという企画が放送されました。シーズン401奪三振、通算206勝&193セーブ、オールスター9連続三振など数々の伝説的な記録を持ち、日本プロ野球史上最速左腕誰かという議論では第一候補として挙がる投手です。専門家が昭和時代のビデオ映像を解析して導き出した結果は158km/hでした。

まともな筋トレもプロテインもなく時代で、映像で見る体格は現在の選手と比べるとかなり見劣りします。そのためこの球速はかなり盛られたものだと思います。過去にはもっと古い映像からもっと体の小さい沢村栄治さんが159km/hを出していたといっていました。

それに対して菊池投手は信頼性の高いトラックマンの計測での159km/hです。江夏投手を超えた日本人左腕最速の称号を与えても良いのではないでしょうか。(非公式記録ではソフトバンク古谷優人投手の160km/hが最速とされています。)

今回はトラッキングデータから菊池投手の4シームを軌道計算で再現します。


菊池雄星投手4シームの軌道計算

トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。これら3つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回は菊池投手の4シームについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。また菊池投手の4シームは回転数と球速の割合に対して変化量が大きいため、変化量に合うよう揚力係数をいつもよりも少し大きめの値を使用します。


[トラッキングデータ]

2021年シーズン前半(開幕から7月1日までの好調期間)の平均値です。








[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプット値は以下のようです。

球速:v0=154[km/h], 抗力係数:CD=0.40, 揚力係数:CL=0.21
リリースポイント:(xo,yo,zo)=(2.03,0.66,1.75)[m]
リリース角度:上向き:θ=-2.0[度], Φ=-2.5[度]
ボール回転軸:z軸→x軸 : θs=65[度], Φs=-90[度]

 

   
     投手方向から見た回転軸




[計算結果]

計算された4シームの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース前端上(x=18.01m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。


菊池雄星投手4シーム2021前半




4シームの特徴

菊池投手の4シームは球速、ホップ量ともにMLB平均よりも大きく、さらにリリースポイントが前よりで全てにおいて優れています。カットボールを多く投げるため、4シームの投球割合は32%で、およそ3球に1球ぐらいの頻度でしか投げないのがもったいないくらいです。

また左投手のためリリースポイントおよびシュートして曲がる方向が右投手とは左右反転した逆で、センターラインに対して鏡面対称のようになります。一塁ベース側よりでリリースされた球が左バッターボックスの方へ向かって曲がっていきます。右投手と左右逆になるのは当たり前のことですが、右投手の軌道に慣れている打者にとってはこれだけでもずいぶん打ちづらくなります。左投手はほとんどが生まれつき左利きの人に限られており、左打者やあるいはボクシングの左構えのように右利きの人がトレーニングをして後天的に身に着けて高いレベルの試合で通用するようになるということはまずありません。

左投手は天然物しか存在しない、とても貴重な存在です。





3Dプロット

今回計算した投球軌道を3D CADソフトでプロットし、gif動画にしました。

スピードは実際と同じにしてあります。反りながらホップしてくるような軌道で、右打者からするとどうやってもボールの下を振ってしまいそうな感じがします。


菊池雄星投手4シーム(ストレート)







では、また。


2021年12月4日土曜日

第97回 菊池雄星投手の21年後半不調の理由



好調のち不調

菊池雄星投手は21年シーズンMLBでのキャリアハイとなる7勝を上げました。特に前半は好調でオールスターにも選出されました。

そこから一転、後半は不調に陥りました。それが響き終盤には先発ローテから外され、シーズン終了後は所属していたシアトルマリナーズが4年間で総額6600万ドル(約75億4000万円)のオプション契約を拒否し、FAとなりました。

天国から地獄への一年でしたが、好調だったシーズン前半と不調の後半、何が違ってしまったのでしょうか?

今回はトラッキングデータから菊池投手が21年シーズン前半好調から後半転落した理由を探ってみたいと思います。

ついでにbaseball savantのwebページからトラッキングデータをダウンロードして、エクセルで処理する手順も紹介します。


baseball savantからデータをダウンロード

まずbaseball savantのwebページへ行きます。

下図のような画面が表示されます。全て英語ですが、ダウンロードは下記の5手順だけで完了し、それほど難しいものではありません。


①Player Type: Pitcherを選択
②Season: 対象シーズンの年を選択(複数選択可)
③Pitchers: 投手名を半角アルファベットで入力し、候補に出てきたものを選択。
④Searchを押す



検索された投手が表示されます。顔写真もあるので似た名前の選手でも間違えないようになっています。

⑤右端のアイコン(Download data as Comma Separeted values File)を押す。

これで完了です。

自分のPCのローカルフォルダに、全投球のトラッキングデータが入ったcsvファイル(savant_data.csv)がダウンロードされています。



csvファイル内のデータ

ダウンロードしたsavant_data.csvを開くと以下のように一球ごとのデータが並んでいます。エクセルで開くと球種などでにフィルターをかけて抽出する操作がしやすく便利です。


主なデータは以下です。

A列 picth_type : 球種。アルファベット2文字で略記されており、FFは4シーム(ストレート)、CHはチェンジアップ、SLはスライダー、FCはカッター(カットボール)等です。(覚える必要はありません。)

B列 game_date:試合日。現地米国時間のため、日本時間より1日前になります。

C列 release_speed:球速。単位はマイル(mph)です。1.609をかけるとkm/hに換算できます。

AB列 pfx_x:横変化量。投球がどれだけスライドあるいはシュートしたかを表します。単位はフィート(ft)です。30.48をかけるとcmに換算できます。

AC列 pfx_z:縦変化量。投球がどれだけホップあるいはドロップしたかを表します。自由落下軌道に対しての変化量であり、直線軌道に対してではないことに注意が必要です。単位はフィート(ft)です。30.48をかけるとcmに換算できます。

BE列 release_spin_rate: 回転数。単位はrpmで、一分間当たりの回転数です。

CA列 pitch_name:球種。A列の略記では分からんというときは、こちらを見てください。

他にもたくさんデータがあります。各列データの内容はこちらのbaseball savantのwebページで説明されています。 "deprecated(非推奨)"と書かれているものは古いトラッキングシステムで採取した信頼性の低いデータのようなので使わない方がよいです。


データをプロット

好きなデータ列を2つを選んで、横軸と縦軸としてプロットすると、数字の羅列では分かりづらい両者の相関が視覚的に見えてきます。

もっともポピュラーなやり方は縦横の変化量をプロットするものです。ネット上でも数多く目にします。

上でダウンロードしたデータをA列をFFでフィルターをかけて、AB,AC列の値に30.48をかけて単位をセンチに変換したものをプロットすると以下のようになります。
青い点が菊池雄星投手が21年シーズンに投げた全918球の4シームの縦、横の変化量です。オレンジ色の点は全球の平均値です。
横変化量はプラスが左打席方向になっているため、捕手側から見た変化量となります。


一球後ごとのばらつきが結構あります。左上から右下にかけて斜めに分布しています。

変化量のばらつきについて


■周方向のばらつき
原点を中心とした半径49cmの円弧を描き入れると下図のようになります。周方向に分布しばらついています。
このばらつきの原因は回転軸の傾きによるものです。
4シームはバックスピン回転をしていますが、投げる時の腕の角度が斜めであるため、ボールの回転も完全な縦回転ではなく少し横に傾きます。
回転軸の傾きが小さく、縦回転に近ければボールに作用する揚力(マグヌス力)も縦方向になり、縦変化量横(ホップ量)が大きくなります。
回転軸の傾きが大きく横回転になっていくと、縦変化量は減り横変化量(シュート量)が増えます。

菊池投手の場合、横変化量の平均値は25cmほどで、回転軸が横回転方向に傾いたときは35cmほどです。そのためアウトコースいっぱいを狙って投げた時でも意図せず回転軸が傾いてしまうった場合には10cmほど内側の甘いコースへのコントロールミスとなります。
安定したコントロールには投げ出す角度だけでなく、回転軸も意図通りに制御する能力が必要となります。
アウトコースに外すつもりが意図しない回転軸の傾きでいつもより大きくシュートした結果、偶然のフロントドアになり見逃し三振をとれることもあります。
一球ごとの変化量のばらつきはコントロールの不安定というデメリットと、打者の予想を裏切るというメリットの両方があります。



■径方向のばらつき

径方向の変化量のばらつきの主要因は、回転数の多寡です。
原点を中心とした半径49cmの円弧を描き入れると上図のようになります。菊池投手は回転軸の傾きによらず平均して49cmの変化量をボールにもたらす力があります。
いつもよりしっかりと指にかかり、高回転数になると+径方向へばらつき変化量が大きくなります。滑ってしまい低回転数になると-径方向へばらつき変化量が小さくなります。

回転数以外の要因もあります。
回転軸が傾いてジャイロ成分が多くなるほど、同じ回転数でも揚力が減り-径方向へばらつきます。また向かい風を受けると同じ回転数、同じ回転軸でもボールと空気の相対速度が増すことにより揚力が増加し+径方向へばらつきます。
また4シーム回転よりも2シーム回転の方が同じ回転数、同じ回転軸でも揚力が減るという研究結果や体験談があります。





本題

さて、ここから本題です。

今度は横軸に日付け(B列のgame_date)を、縦軸に球速 (C列のrelease_speed)をプロットしました。

日付は現地時間のため、日本時間よりも一日前になっています。登板日のみデータがあります。球速は元データの値に1.609をかけ、mphからkm/hに換算しました。

グラフの左側では右肩上がりの傾向があります。開幕から登板を重ねるごとに徐々に球速を上げていたことが分かります。

ところが、グラフ右側、つまりシーズン後半では球速が落ちています。

シーズン前半では4シームの球速が速く、後半では遅くなっています。

シーズン全体では一見cosカーブのように波打っている印象を受けますが、よくよく見ると7月1日の登板の後、急に球速が落ちています。

そして球速の落ちに連動して成績も悪化し始めています。7月1日の登板後、ここが前半の好調から後半の不調への転換点になっています。

7月1日の登板では今シーズンで最も平均球速が速く156km/hあたりを中心に分布しています。また最高球速もシーズン最速となる159km/hをマークしています。そしてこの日は、7回を1失点と良い成績を残し、早くも6勝目(3敗)をあげています。

しかしその次の7月7日の登板では明らかに球速が落ちています。平均球速は151km/hあたりで、最高球速は155km/hです。前回登板から急に4,5km/hも遅くなってしまったのです。そしてこの日は5回を5失点と悪い成績を残しています。

球速の落ちたこの日以降は、わずか1勝しか上積みできずにシーズンを終えました。

全体的に成績の良くなかったたシーズン後半の中でも、8月8日と8月31日の2試合だけはそれぞれ5回無失点、7回無失点と好投しています。この両日の球速分布を見てみると、前後の試合と比べて上に飛び出しています。つまりこの2試合は一時的に球速が回復したので良い成績を残すことができたわけです。

各試合の個人成績はスポナビなどで見ることができます。


各試合ごとの防御率

4シームの球速と登板成績の連動を明確にするため、各試合の防御率をオレンジ色の点で重ねてプロットしたものが以下です。

各試合の防御率は、例えば7月1日の7回1失点の試合では1/7×9=1.29、というふうに計算しています。防御率の値は小さい方が良いため0を上側にして第二軸にプロットしています。

オレンジ色の破線は、各試合ごとの防御率の近似線です。これが青色の点で示した4シームの球速分布と連動していることが見て取れます。


スピードか回転か

菊池雄星投手が21年シーズン前半好調から後半不調に陥ったのは4シームの球速が落ちたからである、ということがトラッキングデータから見えてきました。

球速は正義です。大谷、ダルビッシュ、デグローム、オリックス山本、ロッテ佐々木、ライデル・マルティネス投手など安定して150キロ後半を投げます。

日本では「スピードガンの表示よりキレやノビが大事」と昔から言われてきましたが、中日柳投手(最優秀防御率、最多奪三振)のように球速は並でありながら高回転数で活躍するのは少数派です。これはなにか柔よく剛を制すとか、小が大を倒すとか、三男が長男、次男を超えるとか、そういった弱者が強者を倒すことを夢見る日本人の思想が根底にあるように思われます。ファンタジーでは定番の設定でも現実世界では力のある方が勝ちます。

そして菊池投手は球速と回転数の両方が優れています。

7月1日の登板後に何があったのかは分かりませんが、オフシーズン間にコンディションを整え本来の球速が戻れば、来シーズンもまた21年前半のような活躍ができるはずです。




では、また。