2021年7月31日土曜日

第79回 ボールの持つ運動エネルギーが、No.1の競技は何か?




異なるボール、異なる速度  

東京オリンピックの真っただ中です。野球も含め様々な競技を観る機会が増え、楽しい毎日を過ごしています。

当然のことですが、競技ごとにルールが異なります。
使われるボールも異なりますし、ボールが飛び交う速度もまた、異なります。

小さく軽いボールが超高速で飛んでいくスポーツもあれば、大きく重たいボールがそれほど速くない速度で飛ぶものもあります。

そして、重量と速度が異なれば、ボールが持っている運動エネルギーも異なります。

では、運動エネルギーが、最も大きい競技は、一体なんでしょうか?



運動エネルギー

運動エネルギーは、ボールの重量と速度に依存します。

数式で表すと、以下のようです。高校物理の教科書にも載っているので、ご存知の方も多いかと思います。

E = 1/2・m・v^2 -① :運動エネルギー

(m:ボール重量、v:球速)

細かいことを言うと、上記は重心の並進運動エネルギーです。
重心周りの回転運動エネルギーも存在します。しかし、並進よりもずっと小さく、野球の投球では、回転運動エネルギーは、並進運動エネルギーの2,3%にすぎません。
そのため、今回は省略します。

では、各競技におけるボールが持つ運動エネルギーを①式で計算し、比較してみます。

野球は、No.1になれるでしょうか。



類似競技対決  

まずは、野球と、それによく似たスポーツである「ソフトボール」で比べてみます。
金メダル、おめでとうございます!

野球の投手が体を横回転させて投げるのに対し、ソフトボールの投手は、ウインドミルと呼ばれる、腕を縦にぐるっと一回転させるダイナミックな動きで投げます。



[計算条件]
野球             : m=0.145kg, v=160km/h
ソフトボール : m=0.188kg, v=120km/h

球速は、トップクラス投手を想定した値です。
球速は野球の方が上ですが、ボール重量はソフトボールのが上です。


[計算結果]
SI単位系で計算します。そのため、球速は時速を3.6で割って、秒速に変換しています。

野球            :E = 1/2 × 0.145 × (160/3.6)^2 =  143[J]
ソフトボール:E = 1/2 × 0.188 × (120/3.6)^2 =  104[J]

ソフトボールよりも、野球の方が運動エネルギーが大きいという結果になりました。
Jは、ジュールと読む、エネルギーの単位です。

棒グラフで表すと、以下のようです。
野球vsソフトボール



腕vs脚  

野球もソフトボールも、ボールを手で持って投げます。

腕よりも筋肉量が多く、長さもある脚でボールを加速した方が、より大きな運動エネルギーを与えられると予想されます。

そこで次は、「サッカー」を計算してみます。



[計算条件2]
サッカー : m=0.430kg, v=130km/h

[計算結果2]
サッカー:E = 1/2 × 0.430 × (130/3.6)^2 =  280.4[J]

野球(143J)よりも、ずっと大きく、約2倍の値となりました。

下半身の力は偉大です。

サッカーボールの運動エネルギーは、野球の約2倍大きい、という結果になりました。

野球vsサッカー


素手vs打具  

野球の投手は、素手で、ボールを持って投げます。

道具を使ってボールを打つ方が、リーチが長い分、もっと球速が大きくなります。そのため、運動エネルギーも大きいと予想されます。

そこで次は、「テニス」で計算してみます。

ビッグサーバーと呼ばれるような選手では、サーブスピードが200km/hを超えてきます



[計算条件3]
テニス : m=0.065kg, v=234km/h

[計算結果3]
テニス:E = 1/2 × 0.065 × (234/3.6)^2 =  138.2[J]

野球(143J)とほぼ、同じです。テニスの方が、少しだけ小さくなりました。
テニスのサーブの球速はすさまじいですが、ボールが軽いため、運動エネルギーとしてはそこまで大きくならないのです。

というわけで、テニスボールの運動エネルギーは、野球と同程度という結果になりました。




最速対決  

運動エネルギーは、速度の2乗に比例して大きくなります。

球速が200km/hを超えるテニスよりも、さらに速いスポーツが存在します。
「ゴルフ」と「バドミントン」です。

ゴルフのドライバーで打つティーショットは打球速度300km/h超、さらにバトミントンのスマッシュでは500km/h近い速度にも達します。

次は、この2競技を計算します。


[計算条件4]
バドミントン : m=0.00512kg, v=493km/h
ゴルフ          : m=0.046kg, v=328km/h

[計算結果4]
バドミントン:E = 1/2 × 0.00512 × (493/3.6)^2 =  48.0[J]
ゴルフ         :E = 1/2 × 0.046 × (328/3.6)^2 =  190.6[J]

野球(143J)と比べて、ゴルフの方が大きい値になりました。しかし、球速差のわりにはあまり差がなく、1.3倍程度です。
バドミントンは、野球も含め、ここまで計算した中で最も小さい運動エネルギーです。

普段100km/h台の速度で野球をやっている感覚からすると、300km/hや400km/hなんていうのは、想像もつかないくらいのスピードです。しかし、テニス同様に重量が軽いため、運動エネルギーとしてはそれほど大きくならなりませんでした。

バドミントンのシャトルでは、重量がわずか5.12gしかありません。野球ボールの1/70程度の軽さです。

逆に言えば、重量が軽いからこそ、これだけの超高速を出せるのだ、とも言えます。

というわけで、バドミントのシャトルの運動エネルギーは野球の1/3程度、ゴルフボールの運動エネルギーは野球の1.3倍程度という結果になりました。

野球vsゴルフ



ヘビー級対決、No.1決定  

ここまでの計算により、速度が速くても、重量が軽いと運動エネルギーはあまり大きくならない、ということが分かりました。

そこで次は、重い物体を飛ばすスポーツ、「陸上の投てき」を対象に計算してみます。

やり投げ、砲丸投げ、およびハンマー投げを計算します。
やり投げのやりは重量0.8kg、砲丸投げとハンマー投げでは鉄球重量は7.26kgにもなります。
ちなみに、ハンマー投げでは、鉄球と一緒に飛んでいくワイヤーやハンドルも含めて、砲丸投げと同じ重量になっているそうです。




[計算条件5]
やり投げ       : m=0.800kg, v=109km/h
砲丸投げ       : m=7.260kg, v=50km/h
ハンマー投げ : m=7.260kg, v=120km/h

[計算結果5]
やり投げ      :E = 1/2 × 0.800 × (109/3.6)^2 =  364.8[J]
砲丸投げ      :E = 1/2 × 7.260 × (50/3.6)^2 =  711.5[J]
ハンマー投げ:E = 1/2 × 7.260 × (120/3.6)^2 =  3267.0[J]

野球(143J)と比べて、どれもずっと大きな運動エネルギーとなりました。

特にハンマー投げはあの重量でありながら、120km/hという高速のため、その運動エネルギーはけた違いです。

やり投げのやりの運動エネルギーは野球の2.5倍、砲丸投げの鉄球の運動エネルギーは野球の5倍という結果になりました。

そして、ハンマー投げの鉄球(+ワイヤー&ハンドル)の運動エネルギーは野球の23倍にもなりました。
圧勝です。


以上の結果から、あらゆる球技、投てき競技の中で、最も大きな運動エネルギーを持って飛んでいくものは、ハンマー投げの「ハンマー」、という結論になりました。

棒グラフで表すと、以下のようです。差が大きいので、対数軸にしました。
野球vs陸上投てき


運動エネルギーを最大にする飛ばし方  

ハンマー投げのハンマー(120km/h)が、砲丸投げの砲丸(50km/h)と同じ重量でありがなら、その2.4倍もの速度が出せるのは、ひとえに、ワイヤーによるアーム長さのおかげです。

投てき物の運動エネルギーを最も大きくする飛ばし方は、投げるでも、蹴るでもなければ、道具で打つのでもなく、長いアームで振り回すことです。

ゴルフでは、ドライバーの長さを利用して加速されたヘッド部で打つことにより、打球速度を上げています。最新の材質によりシャフトを極限まで細く軽くすることで、長くても慣性モーメントが大きくならないよう工夫されています。

ソフトボールでは、ウインドミル投法で腕を振り回すことにより速度を上げています。

また、古代兵器の投石器(スリング)や、20世紀末に当時の女子高生が武器としてルーズソックスに石を詰めて振り回していたものも、同じ原理です。




軽量級対決  

さて、運動エネルギーNo.1は上記のようにハンマー投げに決定しましたが、おまけとして、運動エネルギー最小の競技も決定してみたいと思います。

候補の一つは、ここまで最小のバドミントン(48J)です。

バドミントンのシャトルに匹敵するほど軽いものといえば、「卓球」のピンポン玉を置いて、他にありません。

バドミントンのシャトル重量は5.12gという軽さですが、卓球のピンポン玉は、それをさらに下回る2.7gです。

最後は、卓球の運動エネルギーを計算して、バドミントンと比べてみます。



[計算条件6]
卓球 : m=0.0027kg, v=180km/h

[計算結果6]
卓球:E = 1/2 × 0.0027 × (180/3.6)^2 =  3.4[J]


卓球の運動エネルギーは、これまで最小のバドミント(48J)を、さらに一桁以上下回りました。

圧倒的な小ささです。No.1のハンマー投げ(3267J)と比べると、1000倍の違いです。

というわけで、運動エネルギー最小は「卓球」、という結果になりました。





*****

競技により、ボールや投てき物の運動エネルギーが3桁も異なる、というのはとても興味深い結果です。
人間はあらゆる動物の中で、もっとも多彩な動きのできる体を持っています。
それがスポーツの多様性という形で表れ、われわれを楽しませてくれます。




では、また。



2021年7月24日土曜日

第78回 向かい風を受けると、ストレートは威力を失うのか?

 



減らすべきか

ホームからマウンド方向へ、向かい風が吹いているとき、投球が受ける空気抵抗はより大きくなります。

同じ初速のストレート(4シーム)でも、減速が大きい分、打者の手元ではスピードが落ちてしまいます。

では、向かい風の日には、ストレートは威力を失うため、投球割合を減らし、変化球を増やした方が戦術として良いのでしょうか?

また反対に、追い風の日には、ストレートの威力が上がるので、多投した方がよいのでしょうか?


物理学な点から見ると、安易にそうとも言い切れないのです。



両方アップ

向かい風を受けると、同じ球速でも、無風の時よりボールと空気の相対速度が大きくなるため、ブレーキとして働く抗力が増加します。

抗力が増加すれば、打者の手元での球速(終速)がより遅くなるのは、明白です。


一方で、向かい風で相対速度が大きくなると、バックスピン回転により上へ曲げる力として働く揚力(マグナス力)もまた大きくなります。

向かい風を受けると、抗力と揚力、2つの空気力が両方同時にアップするのです。

揚力が増加すれば、ホップ量が増加します。

抗力増加により減速が大きくなれば、重力を受ける時間が長くなり、重力による落下は増えますが、それを揚力の増加で補うことで、トータルのホップ量はそれほど減らない、言い換えると、無風時の軌道と比べてそれほど大きくお辞儀しない、という可能性が考えられるのです。




向かい風を受けるストレート(4シーム)の軌道計算

では、向かい風によりストレートの軌道がどれくらい変わるのか、軌道シミュレータver3.3で計算してみたいと思います。


風速は、少し強めの風として秒速7メートルとします。これは「砂埃がたち、紙片が舞い上がる。小枝が動く」ぐらいの強さです。比較のために、無風と追い風7メートルの場合も併せて計算します。


計算条件

以下のような条件で計算します。プロ投手の平均的な4シームを想定しています。

抗力係数CDおよび、揚力係数CLは、回転数/相対速度の値が大きいほど増加するため、向かい風では無風時よりも少し小さくなります。






計算結果

同じ条件で投げられた各風速における、ストレートの軌道計算結果は以下のようになりました。

グラフ上の点は0.02秒ごとの、ボール位置を表しています。


軌道はほとんど重なっています。

違いが分かりづらいため、ホームベース上(x=18.44m)における上下位置の拡大図を追加しました。

その下には前後差を表すために、無風の球がx=18.44m上に到達した時刻における前後位置の差を示す図を追加しました。



向かい風でホップ量アップ

上下の軌道差を見ると、向かい風7メートルでは、無風のときに比べ5cm上を通過していきます。

事前の予想では、抗力増加により減速して重力を長い時間受ける影響のほうが、揚力増加の影響よりも大きく、より下へお辞儀する軌道になるだろう、と思っていたのですが、意外な結果となりました。

揚力増加の影響の方がわずかに上回ったわけです。


5cmの差

5cmというのは、ボールの直径の2/3程度です。

打者の打ちづらさには、大きな影響がでると考えられます。無風のときと同じつもりでスイングをすると、ボールの中心を捉えたつもりが下面をこすって弱い内野フライを打ち上げてしまったりすることでしょう。

ちなみに、以前した計算では、回転数200rpm増加によるホップ量増加は3cm程度でした。向かい風7メートルの方が、回転数200rpm増加よりも、大きくホップ量を増加させるわけです。


そのため、回転が良くホップ量を武器にしている投手にとっては、向かい風を受けるとむしろ威力がアップする可能性があります。

また、追い風7メートルでは、無風時よりも5cm下を通過していきます。追い風はメリットばかりでなく、ホップ量を減らしてしまうというデメリットもあることが分かりました。



コントロールが狂いにくい

追い風にしろ、向かい風にしろ、無風のときからの上下位置のずれは5cm程度です。

向かい風では揚力アップと同時に、抗力アップで重力を受ける時間の増加し落下量アップするため、この2つが打ち消し合い上下軌道には差が出にくくなっています。

追い風でも両者のダウンが打ち消し合うため、やはり差が出にくくなります。

上下5cm、ボール2/3個分の差は、打者の打ちづらさに関していえば大きな違いですが、ストライクゾーンに投げるということについてはそれほど大きな影響はないでしょう。

そのため、ストレートは追い風、向かい風により上下のコントロールが狂いにくい球種であるということになります。

前回計算した、トップスピン成分を含み下へ曲がるカーブの場合は揚力と抗力、両者の影響が重なり合うため、より上下のコントロールが狂いやすい球種です。


向かい風の日には、ストレートを減らし、カーブやスライダーなどの曲がる変化球を増やす配球をする人も多いかもしれません。しかし、コントロールの観点では、向かい風のときは、むしろ、ストレートを増やす方が得策なのです。



向かい風でブレーキ増加

次は、前後の位置差を見てみます。

上図下側に示した、同時刻における前後の位置差を比べると、その差は上下の差よりもずっと大きくなっています。

向かい風7メートルでは、無風に比べ、後方へ37cmも押し戻されています。

スピードを武器としている投手にとっては、大きな損失です。

打者からすると投げた瞬間、速いと思っても、振ったら意外と間に合って打ててしまったということになるかもしれません。


また、追い風では無風に比べ、31cm前方へ押し出されています。

無風のときと同じタイミングでスイングすれば随分振り遅れてしまうでしょう。スピードが武器の投手にとっては、鬼に金棒です。



どちらが打ちづらいのか

以上のように、無風と比べた場合、

・向かい風7メートルでは、ホップ量は5cmアップし、後方へ37cm押し戻される。

・追い風7メートルでは、ホップ量は5cmダウンし、前方へ31cm押し出される。

ということが分かりました。


では、ホップ量の増加によるメリットと、後方へ押し戻されるデメリット、どちらが打者の打ちづらさにより影響するのか。向かい風のストレートと、追い風のストレートどちらが威力があるのか。ということになると、人間である打者の動きや感覚の話になるため、計算で結論を出すのは容易なことではありません。

今回の計算から、推測で言えることは、

・回転が良くホップ量で勝負するタイプは、向かい風により威力がアップする。

・球速が速くスピードで勝負するタイプは、追い風で威力がアップする。

ということです。



勝負事はどうしても運の要素が絡みます。だから風についても、運だと考え無策でのぞむのか、それとも風を理解して味方に付けるのか。後者の方が、勝つ確率は高いでしょう。

運も実力のうち、というのはそういうことかもしれません。






では、また。





2021年7月17日土曜日

第77回 向い風を受けると、カーブの曲りは大きくなるのか?

 


向かい風は不利なのか

ホームからマウンドへ向かって風が吹いているとき、投球が受ける空気抵抗はより大きくなります。

同じ初速のストレートでも減速が大きい分、打者からすると打ちやすくなります。

では、向かい風のときは投手の方が一方的に不利になるのか、といえば、そうでもないようです。



空気力は両方アップ

向かい風によりボールと空気の相対速度が増加すると、ブレーキとして働く抗力が大きくなりボールはより減速します。

それと同時に、横へ曲げる力として働く揚力(マグナス力)もまた大きくなります

抗力と揚力、どちらも相対速度の2乗に比例するためです。

つまり、変化球の曲りは無風のときよりも大きくなるということです。

ストレートは減速して威力を失いますが、その一方でカーブなど回転で曲げるタイプの変化球は曲りが大きくなり威力が上がります。

この特性を理解してピッチングを組み立てれば、風を味方に付けることができます。



向かい風を受けるカーブの軌道計算

では、向い風を受けることにより、カーブの曲りがどれくらい大きくなるのか、軌道シミュレータver3.3で計算してみたいと思います。


風速はZOZOマリンスタジアムのような強風を想定して10m/sとします。比較のために無風と追い風10m/sの場合も併せて計算します。


[計算条件]

以下のような条件で計算します。プロ投手の平均的なカーブを想定しています。






計算結果

同じ球速、回転で投じられ、異なる風を受ける、カーブの軌道計算結果は以下のようになりました。

グラフ上の点は0.02秒ごとの、一番右端のみホームベース上(x=18.44m)到達時点のボール位置を表しています。

■上下、左右軌道差


向かい風10m/sでは、無風のときに比べ、下への軌道差が28cm、横が16cmと大幅にアップしています。

ボール3個分以上と、予想以上に大きな差となりました。

無風のときには打ちごろの高さの球が、向かい風10m/sではひざ下のボールゾーン高さまで曲がり落ちており、横のコースもボールゾーンに外れるほど曲りが大きくなっています。無風のときの軌道をイメージしてスイングすればバットが届かず空振りするでしょう。

反対に追い風では、上に22cm浮き、横への曲りが14cm小さくなっています。高さ、横のコースともど真ん中の、大変危険な球になってしまっています。追い風が強いとき、カーブは威力を失います。


■前後差(ブレーキの違い)

下の図は同じ計算結果で、無風のときの球がホームベース上(x=18.44m)に到達した時点の、同時刻までの各軌道を表しています。


向かい風では、ただでさえ緩いカーブが、無風に比べ65cmも後ろに押し戻されています。無風のときと同じタイミングで打ちに行ってしまえば、大きく泳がされてしまいます。

逆に、追い風では50cmも前に押し出されているため、せっかくの緩急が半減してしまいタイミングを外しきれなくなってしまいます。もっとも、追い風時はストレートの減速も小さくなるのですから、2球種間の緩急という面では、それほどマイナスではないかもしれません。


風でコントロールが乱れる

上記のように、向かい風によりカーブの上下、左右、そして前後と3方向全てにおいて大きく変化量がアップすることが分かりました。

変化球がよく曲がるのは良いことです。

しかし、一つだけ、気を付けなければならい点があります。

向かい風でいつもより大きく曲がることにより、コントロールを乱す危険があることです。

屋外球場では風による曲り幅の増減も掴みながら、コントロールを微修正する能力もまた必要とされます。


甲子園優勝投手のカーブ

かつての夏の甲子園大会優勝投手でもある、中日ドラゴンズの背番号11、小笠原慎之介投手はトップスピンの効いた大きく曲がり落ちるカーブを投げます。今時では珍しく、スライダーよりもカーブの方を多投します。意表をつくカウント球だけでなく、ツーストライクに追い込んでから捕手のサインに首を振って投げることもあるほど、カーブを得意としています。

ところが、今シーズンの開幕前、ZOZOマリンスタジアムで行われたオープン戦では、その得意のはずのカーブをことごとくワンバウンドさせてしまい、全くストライクが入らず制球に苦しみました。本人曰く「途中から、捕手にカーブのサインを出してもらえなくなった」そうです。

コントロールを乱した原因は本人のせいではなく、ZOZOマリンの強烈な向い風のせいだったと推測されます。いつもならきちんと低目のゾーンに決まるように投げていたのに、風のせいで意図せず大きく曲がりすぎてしまった結果、ボールゾーンまで曲がってしまったということが考えられます。

事実、カーブのコントロールを乱したのはこの1試合のみで、その後投げ方を大きく修正した様子もないのに、開幕後はコントロールよく低目に投げ続けています。ストレート、チェンジアップとのコンビネーションで打者を翻弄し、与田監督の期待に応えここまで先発ローテを外れることなくキャリアハイの成績を残しています。

バンテリンドームナゴヤが、ピッチャーズパークと言われ、多くの投手に好まれるのは、広さやマウンドの質に加え、屋外球場のように風の影響で乱されることがないのも一因かもしれません。





では、また。



2021年7月10日土曜日

第76回 軌道シミュレーターver3.3 -追い風・向い風-

 


バージョンアップ


今回は久々に軌道シミュレータをバージョンアップします。

ver.3.2をver.3.3へと改良して、屋外球場における追い風や向かい風を考慮した軌道計算ができるようにします。

今回は上下、左右方向の風は考慮しません。また風は一様で、風向きや風速は時間により変化しない定常状態であるとします。



球速から相対速度へ


追い風や向かい風の影響を計算式に取り入れるのは、割と簡単にできます。

これまで球速として扱っていたものを、ボールと空気の相対速度、つまり球速から風速を引いたものに変更するだけです。


例えば、球速140km/hの球が、風速5m/s(=18km/h)の向かい風の中を飛んでいくとき、ボールと空気との相対速度は、140-(-18)=158km/hとなります。

球速と向風と相対速度

相対速度、揚力L、抗力Dはいずれも等しい

つまり、球速140km/hの球が風速5m/sの向かい風の中を飛んでいくとき、ボールは158km/hの球が無風状態で受けているのと同じ抗力Dや揚力Lを受けることになるのです。

また、極端な場合としてボールの球速がゼロで、静止しているところに時速158km/hの風が吹き付けるときにも相対速度は158km/hとなるため、同じ抗力Dや揚力Lを受けます。風洞試験では通常そのように物体を固定し、風速を物体が動くと想定する速度に合わせてやることで、等価な状態を作りだし、抗力係数や揚力係数を求めています。(厳密にはレイノルズ数という値が同じになるにして、相似の流れの中で行います。)



計算式

では、具体的な計算式の変更点です。

●空気力

飛翔中のボールは空気から力を受けます。

ブレーキとして働く抗力Dおよび、軌道を曲げる力として働く揚力Lの2つです。


それぞれ下式のように計算され、速度vの二乗および抗力係数CD、揚力係数CLに比例します。



(CD:抗力係数、CL:揚力係数、ρ:空気密度、v:速度、A:ボール断面積)


●無風のとき

上式の速度vは、これまで球速として扱ってきましたが、正確にはボールと空気の相対速度です。相対速度は、球速から空気の速度(風速)を引いた値になります。

無風の場合、風速はゼロのため、ボールの球速がそのまま相対速度になります。

そのため、風を考慮していない軌道シミュレータver.3.2ではvを球速として、以下のような式で各方向の加速度を計算しています。


●追い風・向かい風があるとき

追い風や向かい風、つまりx方向に風速wの風があるときは、x方向の球速であるdx/dtの部分を、相対速度dx/dt-wに置き換えてやることで、風の影響を考慮した加速度(空気力)にすることができます(下図①)。

向かい風(w<0)のときはdx/dt(球速) < dx/dt-w(相対速度)のため、無風のときよりも抗力D、揚力Lともに大きくなります。

向かい風でブレーキとして働く抗力Dが増加するのは、経験上の感覚とも一致する当たり前のことです。

揚力Lが増加するというのはイメージしにくいかもしれませんが、ZOZOマリンスタジアムでは強い向かい風のため他の球場よりもカーブがよく曲がる、と言われています。


また、抗力係数CD、揚力係数CLは、ボールの回転数と相対速度の比に比例するスピンパラメータSPによって決まるため、CD,CLを相対速度のSPに合わせて変更してやります(下図②)。

(CD,CLとSPの関係詳細は第20回第35回を参照ください。)




エクセル数式の編集

それでは、ver3.2のエクセル数式を編集してver3.3を作っていきます。


風速

まず、B列に風速を入力する欄を追加します。

ボールの進行方向を+x方向としているため、風速wは追い風ならw>0、向かい風ならw<0となります。

今回は少し強めの向い風、風速5メートルを想定して、w=-5[m/s]としました。

その他の初期条件は、プロ投手の平均的な4シームを想定した値が入力されています。




①-1 x方向加速度

x方向加速度(d2x/dt2)を計算しているF列セルの数式内で、G列のdx/dtを参照している部分を、先ほどB列15行目に追加したwを差し引いて相対速度dx/dt-wになるよう、下図赤線のように変更します。

これで向かい風を考慮した抗力になります。




①-2 y方向加速度

同様に、y方向加速度(d2y/dt2)を計算しているI列セルの数式内で、G列のdx/dtを参照している部分を、B列15行目のwを差し引いて相対速度dx/dt-wになるよう、下図赤線のように変更します。

これで向かい風を考慮した横方向揚力になります。




①-3 z方向加速度

同じく、z方向加速度(d2z/dt2)を計算しているL列セルの数式内で、G列のdx/dtを参照している部分を、B列15行目のwを差し引いて相対速度dx/dt-wになるよう、下図赤線のように変更します。

これで向かい風を考慮した上下方向揚力になります。




②CD、CL

最後に、相対速度で計算したSPに基づき、CD,CLの値を変更してやります。




完成です!







エクセルグラフ化


計算結果をグラフでプロットすると、このようになります。










風の考慮なし(無風)のver.3.2と重ねてみました。見やすさのために上に0.3mずらしてあります。

向い風により、少し押し戻されていることが分かります。

軌道シミュレータver.3.4










無風の場合と比べると、26cmの差をつけられ、0.008秒遅れてホームベース上(x=18.44m)に到達します。






では、また。





2021年7月3日土曜日

第75回 バレルゾーン最低角度の打球軌道計算

 


  




バレルゾーン

最近注目されている打撃指標に、「バレルゾーン」というものがあります。

簡単に言うと、ある打球速度以上かつ、ある上向き打球角度の範囲内にあるものは打率、長打率ともに高い傾向にある、というものです。



革命の発展

かつて一世を風靡したフライボール革命。

ピッチャー返しのような低いライナーが良いと考えられていた時代に、もっと高くフライを打ち上げる方がよいという、革新的な提唱でした。

日本でも巨人の岡本選手などフライボール革命を取り入れたことで、大化けした選手もいます。

バレルゾーンは、いわばこのフライボール革命の発展版です。

フライボール革命は、ゴロや低いライナーよりも高くフライを打ちあげた方が良いというものですが、ではどのくらい高く打ち上げたらよいのかということになると漠然としています。高く打ち上げても内野フライばかりではだめに決まっています。そのため結局は、各選手が試合や練習でたくさんの打球を打ち、最適な打球角度を自分で手探りで掴むしかありませんでした。

これに具体的な数値でこういう打球がよいと示したのがバレルゾーンです。



バレルゾーンの定義

バレルゾーンの定義はBaseball savantのwebページ上のGlossary(用語)に記されています。

日本語に訳すと以下のようです。

バレルゾーンに当てはまる打球は、打率.500以上、長打率1.500以上になる。

2016シーズンでは打率.822、長打率2.386であった。

バレルゾーンに入れるためには、打球速度は最低でも98mph(=157.7km/h)以上必要で、このとき打球上向き角度の範囲は26-30°である。

打球速度99mphで25-31°、100mphで24-33°と、打球速度が上がるほど、バレルに入る打球角度は広がる。打球速度が100mphから116mphの範囲では、1mph上がるごとに打球角度範囲は2、3°ずつ増える。

また打球速度に関わらず、8-50°範囲がバレルの閾値となる。



最後の一文は少し分かりにくいかもしれません。

まず、打球速度が上がるにつれバレルに入る上向き打球角度の範囲は広がっていきます。例えば、99mph(=159.3km/h)で上向き24.5°の打球はバレルゾーンの下限から外れますが、100mph(=160.9km/h)で上向き24.5°の打球ならバレルに入るというふうです。

しかし、打球速度の上昇につれ、バレルに入る上向き角度はどこまでも際限なく広がっていくわけではなく、8-50°の範囲で頭打ちになる、ということです。例え打球速度が200km/hだろうが、210km/hだろうが、バレルに入る角度は変わらず8-50°のままというふうです。



下限値

Baseball savantのwebページではバレルゾーンを示す図も見ることができます。

下図の赤い範囲がバレルゾーン(Barrel Zone)で、打球速度は120mphまで示されています。

大谷翔平選手の渡米後の最速打球が119mph(=192km/h)であり、これはMLBの計測史上5番目の速度です。そのため、この120mphあたりが実際に人間が打つことのできる打球速度の上限と考えるのは妥当です。

そのため120mph以上は図示されていませんが、上記の文章のように、8-50°の範囲がバレルゾーンとなります。

バレルゾーンの範囲内で最も低い角度の打球は8°で、その時の打球速度は120mph(=193.1km/h)です。






低いライナー

しかし8°というのはかなり低い角度です。

ホームランの場合、超低弾道や弾丸ライナーといわれるような打球でも20°程度の角度です。大谷選手のこれまで打ったホームランのうち最も角度が低かったものが21年シーズンの20号で、打球角度18°(打球速度183km/h、飛距離122m)です。

8°という打球角度は低すぎて、ヒットにはなっても、長打にはなりにくいような気がします。


そこで今回はこのバレルゾーン内で最低角度の8°で打ち返した場合の打球軌道を軌道シミュレータver.3.2で計算し、どんな打球であるのか見てみたいと思います。




バレルゾーン最低角度の打球軌道計算


[計算条件]

上向き角度は範囲の下限値である8度、打球速度は193.1km/hです。

バレルゾーンの定義では、打球の回転について言及されていません。しかし回転は打球の飛び方に大きく影響を与えます。そのため今回は、以下4パターンを計算します。

バックスピンの高回転(2500rpm)と低回転(1000rpm)、無回転(ただしナックルのような変化は考えない)、およびトップスピン回転(1000rpm)。rpmは一分間当たりの回転数の単位で、2500rpmは投球で言うとスライダー並の高回転数、1000rpmはチェンジアップ並みの低回転数です。

軌道シミュレータへのインプット値は以下のようです。






[計算結果]

バレルゾーン最低角度(8°)の打球軌道計算結果は以下のようになりました。

バレルゾーン最低角度打球軌道計算


バレルゾーンでは打球の横方向角度については言及されていません。そのためグラフ上にポール際打球を想定した両翼フェンス、およびセンター方向への打球を想定したセンターフェンスを合わせて示しました。



当たりが良すぎて

高回転2500rpmの打球では飛距離が108mとなりました。

両翼のポール際でフェンスが低い球場ならなんとかホームランになりそうです。この打球はショートの守備位置であるホームベースから40mの地点を地上からの高さ6mで通過していきます。「飛びついたショートのグラブをかすめてそのままスタンドインした」という表現はさすがに誇張が過ぎますが、それに近い感覚の打球です。


しかしやはりホームランを狙うには打球角度が低すぎます。フェンスの高い球場や、もう少し右中間、左中間よりであればホームランになりません。

また、この低くて速い打球は打ってから100m先の外野フェンスに当たるまで時間がとても短く、わずか2.8秒です。足の速い打者走者の一塁到達タイムが3.8秒であることを考えると、クッションボールが外野手の捕れる範囲に跳ね返った場合2塁まで進む時間はありません。

レフトやライトの真後ろに飛ぶと、「当たりが良すぎてシングルヒット」になるタイプの打球です。





打率↑、長打率↓

高回転から低回転、無回転と回転数が減るにつれさらに弾道は低くなり、飛距離も落ちていきます。

低回転1000rpm飛距離は83m、無回転では68mです。

打球速度が速いので外野手の間を抜く長打にはなりますが、外野手の頭を超す長打にはなりにくい打球です。

長打になるか否かは打球がどの方向に飛んだかに、文字通り左右されそうです。


また、内野手が守っているホームベースから30-40mあたりを、低回転の打球は地上からの高さ4.5m、無回転は3.5mで飛んでいきます。そのため、低い弾道であっても内野手にジャンプして捕られることはありません。

内野手に捕られることがなく、その上外野フィールドにバウンドするまでの時間が短いため、ヒットになる可能性が非常に高い打球です。


この低回転や無回転の打球はバレル内にしては長打率は低いものの、打率は高い打球だと言うことができます。




トップスピンは非推奨

トップスピンの打球ではさらに飛距離は落ちて、56mです。いくらトップスピン回転の打球はバウンド後の減速が小さいとはいえ、これでは長打は期待できません。長打になるのはライン際ぐらいです。

低い打球では回転による飛距離への影響がとても大きく出ます。バックスピン2500rpmとトップスピン1000rpmでは回転の違いのみによって飛距離が2倍以上も違っています。これは打球角度が低いと少しの落下ですぐに地面の高さまで落ちてしまうこと、および揚力が真上や真下に近い方向を向くことが関係しています。

また、内野手が守っているホームベースから30-40mあたりでトップスピン回転の打球は頂点を過ぎて落下軌道に入りながら通過していきます。地上からの高さは2.9m-2.4mです。この高さですと、飛んだコースによってはジャンプした内野手に捕られることもあり得ます。

つまり、このトップスピン回転の打球はバレル内では長打率も打率も低い、あまりよくない打球だといえます。


そのため、8°という低い角度で打つならば打球にバックスピン回転をかける方が良い、あるいは打球速度は速いが回転が良くない打球を打つならもっと高い角度で打ち出すのが良い、という結論に至ります。





では、また。