様式美
会心の当たりがレフト線上へ飛んでいく。
ベンチも観客も思わず立ち上がる。
打球の勢いは十分でスタンドインする、と思ったら急激に左へ曲がりファールになる。
ため息をつきながら、ゆっくりと座る。
毎試合のように繰り返されるこの光景、もはやプロ野球の様式美の一つです。
なぜこうも、レフト線上(あるいはライト線上)に打ち上げられたホームラン性の打球は、ことごとくファールゾーンに向かって曲がってしまうのでしょうか。
斜めに当たると回転がかかる
それは勿論、ボールに横回転がかかっているから横に曲がるのです。
ゴルフでいう所の「フック」と同じです。
ではなぜ横回転がかかるかというと、バットがボールの軌道に対して斜めに当たるからです。
バッテリーラインとレフト線は45度角度がずれています。
そのためレフト線に打球を打つ場合、入射角と反射角が同じとすればバットの軸に対してボールは斜め22.5度の角度でぶつかってきます。
壁や床に向かって斜めにボールをぶつければ、横回転がかかることは容易に確かめられるでしょう。
実際の打球ではボールの少しだけ下を打ってバックスピン回転を与えるため、回転軸はバックスピン回転から少し傾いて横回転が混じった回転になると推測されます。またジャイロ回転は基本的に入らないと考えられます。
この少し横回転が混じった打球がセフト線上に打ち上げられた時、打球はどのくらい曲がるのでしょうか?
軌道シミュレータver.3.2で計算してみます。
ポール際の打球の軌道計算
[計算条件]
打球速度は150km/h,回転数は2500rpm、打球角度は上向き30度とします。
横方向の打球角度はレフト線と平行からフェアゾーン側に1度とします。
ミートポイントはホームベースの50cm手前で、地上から1mの高さとします。
ボールの回転軸は完全なバックスピンと、10度だけ左へ傾いたもの(フック)、の2種類を計算します。
[計算結果]
レフト線上に打ち上げられた打球の軌道計算結果は、以下のようになりました。
座標系はホームベース後端が原点で、+x方向はレフトポールへ向かう方向、-y方向がライトポールへ向かう方向です。y<0の領域がフェアゾーン、y>0がファールゾーンになります。
上から見下ろした視点であるx-yプロットには、レフトポールと外野フェンスも示しました。
10度の傾きで、4.9メートル切れる
完全なバックスピンのかかった打球では横方向への揚力が働かないため、上から見て真っすぐ飛んでいきます。
レフト線から1度内側に向けて放たれたこの打球は、レフトポールの3m内側を通過してスタンドに飛び込むホームランとなります。
一方同じ角度で打ち出されたフックの打球は次第に+y方向、ファールゾーンへ向けて曲がっていきます。それでもx=70mで打球が頂点に達するあたりまではほぼ、レフト線の上空を飛んでいるため、このまままっすぐ進んでポール直撃のホームランになるように見えるでしょう。
そこから最後の30メートルでぐんと左に切れ、レフトポールの外側1.9m横を通過してスタンドに飛び込むファールとなり、期待を裏切ります。
完全なバックスピンの打球はポールの内側3mを、回転軸が10度傾いたフックはポールの外側1.9mを通過していきます。
というわけで、今回の条件では、ボールの回転軸が10度傾くと100m先のポールを通過する位置は横に4.9mずれるという結果になりました。
ホームランを打つのもテクニック
わずか10度で4.9mずれる。回転軸の傾きが大きくなればもっと大きく曲がり切れていきます。
ポール際にホームランを打ちたいのであれば、パワーだけでなく、横回転をなるべく与えないような打ち方をするテクニックもまた必要になります。
一般的にはインコースの球を引っ張るとき、体がの開きがはやいと打球が切れやすくなり、体を上手くどかしてバットが出てくるコースを空けてやると切れにくくなると言われているようです。
プロのバッターの中には反対にフェアゾーンに戻ってくるよう、ゴルフでいう所のスライス回転を与えるような打ち方を意図的にしている選手もいるそうです。
ポール際でなければ10度ぐらい構わない
さて、上下方向の軌道についてはどうでしょう。
フックの打球も完全なバックスピンも、真横から見たx-zプロットでは軌道がほぼ重なっており、その飛距離はほとんど同じです。
sin10°=0.985なので、回転軸が10度傾くことの上下軌道や飛距離への影響は1.5%程度しかないのです。
従ってポール際ではない、センターや左中間、右中間方向へ打つのならば、10度ぐらいの回転軸の傾きはホームランを狙う上で気にしなくてもよいと言えます。
端を狙うのが楽しい
ポール際、つまりフェアゾーンの端に打球を飛ばすから、わずかに曲がるだけでファールになるのです。
センター方向へ打てば少しぐらい曲がってもファールにはなりません。
そんなことはもちろん、選手も分かっていますが、それでもホームラン打者はポール際を狙います。
その理由は単純明快で、フェンスまでの距離が近いからです。
プロの標準的な球場の場合、センターフェンスを越えるには160km/h以上の打球で120m以上の飛距離を出さなければなりません。これがポール際なら、140km/h以上の打球で100m以上の飛距離でよくなり、条件はぐんと低くなります。
だからファールゾーンに外すリスクがあっても、ホームランになりやすいポール際へ打ちます。
思えば、これは他にも共通することです。
投球のストライクゾーンでは端にいくほど打たれにくくなりますが、少しでも外に外れてしまえばボール球になるリスクがあります。
サッカーのゴールも、テニスやバレーのコートも端に行くほど相手に捕られにくく得点になりやすくなりますが、少しでも外ればダメになるというのは同じです。
外せばダメになるリスクを背負いながら、成功率の高い端を狙ってボールと飛ばすという異なる競技に共通のこの行為は、一種のギャンブル性があり、だからやる人も見る人も引き付けられはまってしまうのではないでしょうか。
ポール際に上がった大飛球を目で追っているとき、人の脳内にはきっと快楽物質があふれだしているに違いありません。
では、また。