2020年11月28日土曜日

第44回 ダルビッシュ有の「カッター」をトラッキングデータから再現する

  


鋭く落ちるカッター    


ダルビッシュ有投手はとても多くの球種を投げることができ、その数は10種類とも11種類とも言われています。

その中でも4シームの次に投球割合が多いのが「カッター」です。

(カッターは日本ではカットボールと呼ばれています。)

カッターも1種類ではなく、縦スラのように鋭く落ちる「スラッター」と、4シームのようにホップする「ハードカッター」の2種類を投げ分けているそうです。

本当に器用な投手です。


図1:ダルビッシュ投手のトラッキングデータ
(引用元:ピッチングデザイン、集英社、お股ニキ著、2020年発行


自由落下に最も近い     


図1の変化量を見ると、カッター(スラッター)は全球種の中で最も原点に近い位置にあります。
つまりカッターは自由落下に近い軌道の球だということです。

(※以下、本文中のカッターは、図1のスラッターと同じものを指します。)

このことから、ダルビッシュ投手のカッターはほぼジャイロ回転をしており、投手から見て回転軸を少しだけ左上に向けることで、わずかにスライド成分とトップスピン成分を与えていることが分かります。



ダルビッシュ有カッターの軌道計算

図1に示されるように、トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。

これら三つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回はダルビッシュ有投手のカッターについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。

[トラッキングデータ]

図1の通りです。2019年シーズンの平均値です。


[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプットは以下のようです。
参考に前回計算した、4シームのものも示します。



[計算結果]

計算されたカッターの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース上(x=18.44m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。

ダルビッシュ有スラッター変化量

[計算結果2]

以下は前回計算した4シームと一緒にプロットしたものです。

同じ角度でリリースしたときのホームベース上(x=18.44m)における位置の差も、併せて表示しました。

gif動画(実際のスピード)

ダルビッシュ有スラッター&4シーム

gif動画(1/10倍スロー)



静止画




4シームのとの比較   


●横の変化
4シームとカッターのホームベース上(x=18.44m)における位置の違いを見ると、横方向(y方向)は24cmとなっています。

これは図1トラッキングデータの変化量、4シームが一塁側へ9.1cmとカッターが14.3cmを足したものそのままになります。

同じ角度でリリースされた球が、4シームは右打者のインコースへ、カッターはアウトコースへと分岐していきます。

24cmの差は、ホームベースの幅の半分よりも少し大きいぐらいの差です。

変化が多すぎないためストライクゾーンに投げてカウントを稼ぐの適しているので、投球割合が高いのだと思われます。


●縦の変化
上下方向の差をみると64cmとなっています。

これは図1の4シームが上へ40.8cmと、カッターが下へ-6.7cmを合わせた47.5cmよりも、16.5cm大きくなっています。

この16.5cmは球速の差による重力を受けている時間の差によって生まれるものです。

図1のようなトラッキングデータの変化量を見て球種同士の比較をするときには、「横方向の差は変化量そのままの差だが、上下方向の差は球速差によってさらに広がる」、というの頭に置きながら見ると、実際の投球軌道のイメージがしやすくなります。

同じ角度でリリースされた球が、4シームはストライクゾーンの高めへ、カッターは低目のボールゾーンへと分岐していきます。

64cmの差は、ストライクゾーンの上下幅と同じぐらいの大きな差です。

縦の変化が大きいため打者が振ってきても空振りをとることができるため、最も打ちにくい球種の一つとなっています。



CADソフトでプロット


軌道を3D表示したいのですが、エクセルには3D表示機能がありません。

そこで、試しにCADソフトを使ってみました。

FreeCADというフリーソフトがあったので、インストールして軌道をプロットして、動画にしてみました。

視点はキャッチャー方向からのものです。

青い半透明の四角はストライクゾーンで、下の黒いのはホームベースです。

カッターはストライクゾーンに入るよう、少しリリース角度を上向きに変更してあります。

カッターの急激な落下具合が伝わるでしょうか?











*****
次回はスライダーの再現計算をする予定です。



では、また。






2020年11月21日土曜日

第43回 トラッキングデータからダルビッシュ有の球を再現する

 

理論から統計の時代へ    

MLBでは選手の全てのプレーがトラッキングシステムで測定され大量のデータとして蓄積されます。そして、そこから統計的によい戦術が導き出されるようになりました。

例えば、何万球という打球データをホームランになったものとそうでないものに分類し、違いを探せば「打球角度は上向き30度前後で、打球速度は158km/h以上であれば高確率でホームランになる」といったことが分かります。


同じことが理論的な計算によってもできます。

実際、物理学の数式を使った軌道シミュレータver.3.2で計算をしても上記とほぼ同じ結果を得ることができました。(第26回第28回 参照)


統計的な方法と理論的な方法、それぞれメリットデメリットがあります。

例えば統計的な手法ではこうすればこうなるというインプットとアウトプットの関係は分かるのですが、なぜそうなるのかという理由については分かりません。現象がブラックボックス化されてしまいます。

一方理論的な方法では、計算した結果が本当に現実世界でそうなるのか、計算結果が本当に正しいのかが分かりません。実物での実験や実測と一致することが確認されて初めて信頼されます。

かの有名な一般性相対性理論も数式だけ見て全ての人が納得したわけではなく、重力レンズにより太陽のそばに見える水星の位置がずれるという実現象が確認されたことにより、正しい理論だと認められました。

どれだけ正しそうに見える理論も実現象と合わないのであれば、どこかが間違っているはずです。

上記の第26、28回の記事についても、もし計算結果が統計と一致していなければ私はアップロードせず、計算のミスを探す作業をしていたことでしょう。

逆に言えば統計的手法のメリットは計算と違って間違わないことです。

今までの理論や常識と異なっても、実現象がそうなっているのならばそれが正解です。

理論や常識の方が実現象に合わせて修正され、新しい理論や常識に生まれ変わります。

例えば、地球から見える星の動きを測定し統計的に処理した結果、地動説が生まれ、古い常識の天動説は消え去ったのです。


統計的な方法は実現象だけでなく、計算にも適用できます。

例えば軽さと強度を両立するような航空機の部品を作りたい場合、現在では材料力学の理論に基づいて人間が形状を考えて設計しています。その結果、I型断面の柱などシンプルな形状になります。

しかし今後コンピュータのレベルがますます上がって行けばやがて理論はお構いなしに、何百、何千パターンの形状で次々と強度計算を行い、その中から強度に優れたものを抽出するというように変わってくるでしょう。その結果、人間の骨のような複雑な形状になっていくのではと予想されています。

野球も、野球以外も、時代は理論から統計へと移り変わっていくようです。



変化量のトラッキングデータ


投球の変化量もトラッキンデータで測定されています。

例えばダルビッシュ有投手の場合、下のような散布図で表されるのですが、初めての人は見方が分からず戸惑うようです。

何故かというとこの表は回転により空気から受ける力(マグヌス力)による変化量のみ、言い換えると、重力による自由落下の場合を基準とした変化量を表しているからです。

直線軌道からの変化量をイメージしている、あるいは4シームとの差をイメージしていると全く意味が分からなくなります。


変化量のトラッキングデータ
(引用元:ピッチングデザイン、集英社、お股ニキ著、2020年発行(左)、
 野球×統計は最強のバッテリーである、中公新書ラクレ、データスタジアム株式会社著、2015年発行(右))


例えば左図の4シームでは40cm強上方向に変化していますが、これは同じ球速、同じリリース角度で投げられた無回転の、ただしナックルボールのような変化はしない球(自由落下)、に比べてホームベース上で40cm強上に到達する、ということを表しています。

直線軌道と比べれば、重力の方がマグナス力よりも強いため、下へ変化した軌道となります。

もし無重力空間で同じ球を投げたのなら本当に直線軌道から40cm強上に曲がる球になります。

また同じ球速の自由落下軌道と比較しているため、実際の投球軌道では140km/hの球の方が100km/hの球よりも重力を受ける時間が短く落下が少ない分、同じ角度でリリースしてもホームベース上でより上の位置に到達しますが、これに関しては一切含まれていません。

あくまで同じ球速の自由落下との相対的な比較です。

なお、横方向の変化は重力の影響を受けないためそのまま直線軌道との差であり、球速が違う球同士でも比べることができます。


科学技術の進歩    


上図変化量トラッキングデータは、左は2019年にstatcastで、右は2014年にpitch f/xで測定されたものです。

4シームのホップ量を見ると、左は40cm強に対し、右は25cm程度しかありません。

どうやらpitch f/xの方がstatcastよりもかなり変化量が小さく測定される傾向があったようです。

ダルビッシュ投手に限らず他の投手でも同じ傾向がみられるため、5年の間にMLB投手みんなのホップ量が大幅に増加したと考えるよりは、pitch f/xに測定誤差があったと考える方が自然です。

MLBでは2015年から2017年のあいだにptich f/xからstatcastへ移行されたそうです。

そのためデータを参照するなら2017年以降のものが良いようです。

先ほど、統計は計算と違って結果を間違わないと書きましたが、データの精度が悪ければ間違った答えにたどり着いてしまう危険はあります。

statcastはpitch f/xよりも精度が上がっているはずですが、それでも100%完全ではない部分があることでしょう。

そのため理論や人の感覚の出番はまだあり、同時に科学技術の進歩も待たれます。


ダルビッシュ4シームの軌道計算

トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。

これら三つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回はダルビッシュ有投手の4シームについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。

[トラッキングデータ]

2019年シーズンの平均値です。変化量は先ほどの図左側と同じです。

  (引用元:ピッチングデザイン、集英社、お股ニキ著、2020年発行)


[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプットは以下のようです。



[計算結果]

計算された4シームの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース上(x=18.44m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。

ダルビッシュ4シーム軌道2019平均


4シームの特徴

ダルビッシュ投手の4シームの特徴は横方向への変化量が小さいことです。普通の投手の4シームではシュート方向へ20cm前後変化するところ、ダルビッシュ投手は半分以下の9cmのみです。

これは回転軸の横への傾きが小さいということです。普通の投手では20度ほど傾くところ、今回の計算結果ではダルビッシュ投手も回転軸は11度しか横へ傾いていません。(11=101-90)

一般的にこれは良いことです。

回転が傾いていなければそれだけマグナス力のシュート成分が少なく、上向き成分が多くなり、ホップ量が大きくなるからです。


...ところがです。ダルビッシュ投手のホップ量は40cm強であり、これはMLB平均と同程度でしかないのです。

回転軸の横への傾きが小さく、また回転数は平均以上あるのに、ホップ量は平均程度しかないのです。


ジャイロ成分の多い4シーム

それは、回転数や、回転軸の横方向の傾き以外のどこかで、上向き揚力をロスしているということです。

どこか、と考えると、回転軸の真横から前後方向への傾きが大きい、つまりジャイロ成分が大きいということが推測されます。

今回の計算結果によれば、回転軸が32度ほどジャイロ方向へ傾いています。(32=90-58)

これにより変化量は15%減少します。(0.15=1-cos32°=1-0.85)


ダルビッシュ投手のように少し腕が下がったサイドハンド気味の場合、ジャイロ成分をなくそうとするとシュート成分が多くなってしまい、シュート成分をなくそうとするとジャイロ成分が多くなってしまうというジレンマがあります。他の変化球との兼ね合いを考えた結果、後者の回転軸を選んだのではないか、と推測されます。

ジャイロ成分もシュート成分もない完全なバックスピンに近い球を投げるためには、野茂投手やヤクルト小川投手のようにオーバーハンドで真上から投げるフォームでないとむずかしいのです。


逆にサイドハンド気味でジャイロ成分でロスしてしまう分を回転数の多さで補っているとも言うことができます。


ジャイロ成分がなくなれば

今回の計算結果から、もしダルビッシュ投手が「シュート回転しても構わないから、ジャイロ成分がゼロになるような回転軸」で投げれば、変化量はさらに15%アップすることになります。

恐らくですが、それが時折投げる横変化が異常に大きな2シームではないでしょうか。

この球は、お股ツーシームという愛称で呼んでいるそうです。

トラッキングデータ上にある普段投げている2シームは回転数が4シームよりも小さいので、わざと回転数を減らして落としており、これとは別の球種として使い分けていると思われます。



*****

また他の変化球についても次回以降、再現計算をしていきたいと思います。

球種が多すぎて全部できるか、分かりませんが。。




では、また。







2020年11月14日土曜日

第42回 大谷翔平の回転数が少ないのはなぜか?



平均より6%少ない       


大谷翔平は投手として、日本人最速の4シームを投げます。世界でもトップクラスです。

しかしその一方で、回転数の少なさが指摘されています。

時速100マイルを超える球を投げながら空振りをとれずファールにされる度に「回転数が少ないから球速のわりに当てやすい」と、ヒットを打たれたわけでもないのに悪く言われてしまいます。

4シームの回転数というのは球速に比例する傾向があり、球速100マイルの場合の平均的な回転数は2320rpm程です。
(rpmはrevolutions per minutesの略で、一分間あたりの回転数を表します。)

一方トラックマンで測定された大谷投手の100マイル時の回転数は2180rpmで、平均よりも6%程少なくなっています。

ちなみに人類最速の球を投げることで有名なチャップマンの100マイル時の回転数は2680rpmで、平均よりも16%も大きくなっています。
球速だけでなく、回転数も群を抜いています。


4シームの威力に影響しているかは別として、大谷投手の回転数が少ないというの事実のようです。

では、なぜ大谷投手の球は回転数が平均よりも少ないのでしょうか



指のフックを保ちたい       


4シームの場合、人差し指と中指の二本をボールに沿うようフックを作って握ります。



リリースの瞬間この二本の指はボールを前方に強く押しています。
そして、その反作用としてこの二本の指はボールから後方への慣性力を受けます。

このとき握力が弱いと指が伸ばされてしまい、その結果ボールにあまり回転がかからなくなります。

回転数の多い球を投げるためには、リリースの瞬間まで人差し指と中指のフックを保つことが必要であり、そのためにはボールに押し負けないよう握力がかかっている必要があります



回転数の多い投手との違い       


藤川球児、和田毅、山本昌。

大谷投手とは反対に回転数が多いと言われている投手たちです。

彼らと大谷投手のリリースの瞬間の写真を見比べてみると、ある違いがあることに気が付きます。

分かるでしょうか?
















それは、グラブの形です。

回転数の多い投手のグラブは握りつぶされています。

一方、大谷投手はグラブを開いたまま投げています。



左がグーなら、右もグー       


人間の体には連合反応という性質があります。

片方の手を動かすと、もう一方もそれに連動して同じように動く性質のことです。

握力に関してもそうです。

歩くときや走るときに、手を握っている人もいれば、開いている人もいます。
人それぞれです。

しかしどんな人でも必ず両手は同じ形になっています。

右手をグー、左手をパーにして歩いたり走ったりする人はいません。

無意識のうちに右手がパーなら左手もパー、右がグーなら左もグーになっています。

片方をグーにするともう一方も自然と握力がかかるわけです。

投球においても同じで、左手でグラブを握りつぶせば自然とボールを持った右手にも握力がかかるのです。

しかし大谷投手は何らかの理由でグラブ側の手を開いたまま投げているため、右手のフックが弱まってしまい、その結果回転数が減少してしまっていると考えられます。



投げるための道具       


投手にとってはグラブは投げるための道具です。

そのため大抵の投手は、下図左のような型がついています。
ボールを持った手と同じように握力をかけるため、親指が人差し指と中指の間にくっつくように閉じられています

投手のグラブ、野手のグラブ

一方野手のグラブはボールを捕球するための道具であり、そのため右側のような型がついています。
親指が薬指とくっつくように閉じられ、これによりポケットが広く使えます。

もしかしたら、大谷投手は二刀流で野手の意識も強いため、野手用の型がついたグラブを使って投げておりそれが原因なのかもしれません。


ホップ量は小さくない       


大谷投手の4シームは回転数が少ない。

その上、ボール回転軸にジャイロ成分が多めに混じっているそうです。

では、ホップ量が小さいのか、というと、そうでもありません

(ピッチングデザイン、集英社、お股ニキ著、2020年発行 より引用)


上記のトラッキンデータを見るとホップ量は、40cm強あります。

これはダルビッシュ投手や前田健太投手と同程度で、MLB全体の中でも平均的な値です。

つまり、ホップ量が小さいから打たれるのではなく、平均的で打者が慣れているので当てやすいという方が正確なようです。

しかしそうなると今度は、なぜ回転数、回転軸ともによくないのに平均と同じだけのホップ量を生み出せているのか、というのが不思議で気になってしまいます。




では、また。





2020年11月6日金曜日

第41回 ボールに働く第4の力、はどれくらいか?



第4の力


飛翔中の野球ボールには「重力」、「抗力」、「揚力」の3つの力が働きます。

この前提に基づき軌道シミュレータver3.2は作成されています。

しかしながら、厳密に言えばもう一つ、第4の力が作用しています。

それは、「浮力」です。


押しのけた分だけ


浮力とは、流体が物体を上へ押し上げ、浮き上がらせようとする力です。

その大きさは、物体が押しのけた体積分の流体が受ける重力と同じになります。

これをアルキメデスの原理といいます。

発見した時、嬉しさのあまり「ヘウレーカ!ヘウレーカ!(見つけた!見つけた!)」と叫びながら裸で走り回った逸話が有名ですね。


アルキメデスの原理       

アルキメデスの原理

例えば、水の中にボールを沈めるとボールは浮き上がろうとする力(Pf)を受けます。これが浮力です。(図左)
ボールが沈んでいるので、ボールの体積分だけ流体は押しのけられています。(図中央)
その押しのけられた体積分の流体が受ける重力(Pg)(図右)と同じ大きさの力が、浮力として作用します。

Pgはボールの体積(v)、流体の密度(ρ)、重力加速度(g)の積になるので、浮力Pfは以下のように表されます。

Pf = v×ρ×g : ボールに働く浮力

水は密度が大きいので、浮力が大きく、池に落ちた軟式ボールは沈まずに浮きます。
空気は密度が小さいので、水よりもずっと小さな浮力になります。




飛翔中のボールが受ける浮力


空気中を飛んでいくボールに作用する浮力が、どのくらいの大きさであるか、数字を入れて計算してみましょう。

[計算結果]

Pf = v×ρ×g = (2.1×10^-4)×1.205×9.81 =2.49×10^-3[N]

力の単位をN(ニュートン)からなじみのあるキロ、グラムに変換します。

Pf =2.49×10^-3×9.81 = 2.5×10^-4 [kgf] 

Pf =2.49×10^-3×9.81 × 1000 = 0.25[gf] : 空気中のボールに働く浮力

ここで、
v=4/3×π×(d/2)^3 = 4/3×π×(0.074)^3
  = 2.1×10^-4 [m] : ボールの体積
(d:ボールの直径)。

というわけで、空気中のボールに働く浮力は、0.25グラムです。

0.25グラムは1円玉にかかる重力の1/4の大きさです。とても弱い力です。

ボールの重量が145グラムなので、ボールに働く重力の0.17%に過ぎません。
(0.25/145=0.0017)

そのため浮力の影響は無視できると考えて、軌道シミュレータでは考慮しませんでした。

光速よりもはるかに遅い野球ボールに対して相対性理論を考慮しないのと同様です。



浮力を考慮した軌道計算      


今回は試みに浮力を考慮した場合と、しない場合でどれくらい投球軌道が変わるのか(変わらないのか)、軌道シミュレータで計算してみます。

無視できると予想されるものでも、一度確認してみることは何事においても大切です。

浮力は重力の0.17%の大きさで、重力と反対方向へ作用するため、軌道シミュレータへインプットする重力定数gを0.9983倍(=1-0.0017)してやります。
そうすることで軌道シミュレータの数式をいじる手間なく、物理的に同じ現象を再現できるからです。
CAEではよく使う手です。

g=9.81[m/s^2] : 重力加速度
g'=9.81×0.9983 = 9.79[m/s^2] : 浮力を考慮したインプット値

[計算条件]
以下のような条件で計算します。重力定数g以外は同じです。
プロの平均的4シームを想定しています。


[計算結果]

浮力あり・なしでの投球軌道の計算結果は以下のようになりました。
グラフ上の点は0.02秒ごとの、一番右端のみホームベース上(x=18.44m)での、ボール位置を表します。
両者の差がとても小さいので拡大図も追加しました。

浮力を考慮した軌道計算


両者の差は1.7mmになりました。

やはり省略してもよさそうですね。




余談:体重超過はネリだけでない?    


私たち人間の体は野球のボールよりも体積が大きいので、その分、浮力も大きくなります。

大学教授のクリフォード・スワルツさんの概算によれば、体重100kgの人で130gほどの浮力が働き、そのため体重計で測ると本当の体重よりも少し軽め表示されてしまうそうです。

野球選手にとってはどうでもいい話ですが、階級が細かく分かれているせいで厳しい減量を強いられるボクサーにとっては数十グラムの誤差でも大きな問題です。

体重計でリミットぎりぎりだった場合、実際には超過しているかもしれないのです。

自分がリミットよりも200グラム低い体重で計量をパスした後に、相手がぎりぎりでパスだったら、「浮力も考慮しろよ!」と抗議したくなるかもしれませんね。







では、また。