2021年5月29日土曜日

第70回 野球ボールより、飛行機の方がゆっくりに見えるのはなぜか?




ゆっくりに見える1041km/h   

上空を飛んでいる飛行機はマッハ0.85という超高速で移動していますが、とてもそうは見えません。まるで空に貼り付いてしまったかのようゆっくりゆっくりと進み、いつまでたっても視界から消えずにいます。

飛行機よりも、野球のボールの方がよっぽど速く見えます。




マッハ0.85は時速で言うと、1041km/hです。

マッハ1が音速、つまり空気中を音が伝わる速さです。物理学的に言うと空気が圧縮されて密度の高いところと、反対に密度の低いところが交互にできる「疎密波」が伝搬する速度です。この音速を超えてしまうと空気が極限まで圧縮されたところを機体が突き抜けていくことになり、その時の衝撃波により機体がダメージを受けるため、コストや安全性が重視される民間機ではそれよりも少し小さい速度で飛んでいます。

そんな1000km/hを超える高速で移動している飛行機よりも、打者の目前を通過する140km/hの野球ボールの方がずっと速く見えるは、いったいなぜでしょうか?




目は角度で物を見る      


それは、人間の目が、物体の動きを「角度の変化」として捉えているからです。


下図のように飛行機が左から右へ動き、それをずっと見続けるとします。
このとき視線を左から右へ移動させるために、眼球は右回りに回転します。
目は角度で物を見る

あるいは眼球を動かさずに、顔や体を動かす人もいるかもしれませんが、いずれにしろ視線を移動させるために回転します。

そのため、人間の目は物体の速さを、実際の速度vではなく、視線が回転する速度ωとして認識するのです。

この視線が回転する速度ωは、角度の変化する速さ、言い換えると単位時間に変化する角度の大きさで、物理学では「角速度」と呼びます。

飛行機は高いところを飛んでおり目から物体までの距離Lがとても大きいため、速度vが大きくても、角速度ωは小さくなります。

上の図でいうとすごく縦に細長い、ωの部分の角がとがった三角形になります。


その結果、人間の目にはゆっくりに見えるのです。




飛行機の角速度の計算        


では実際、飛行機と野球のボールで角速度ω、つまり人間の目が認識する速さ、はどれくらい異なるのか計算してみます。

[計算式]
角速度は先の図に示されるように、以下の式で計算されます。

    tan ω = v / L 

(ω:角速度、L:目から物体までの距離、v:物体の速度)

これは三角関数の式と同じ形です。
Lは普通の距離ですが、vが速度、つまり距離を時間微分したものになっているため、左辺のtanも普通の角度θではなく、角度の変化する速さである角度ω(=dθ/dt)になるわけです。

三角関数の性質でv/L<<1のとき、tanω≒ωとなります。

   ω = v / L 

[計算結果]

距離L
民間機の場合、上空1万メートルあたりを巡航します(L=10000m)。

民間機は燃費を重視します。
高いところを飛ぶほど空気が薄くなり空気抵抗は減るのですが、一方であまり空気が薄くなりすぎるとエンジンで燃料を燃やすための酸素が少なくなってしまいます。
最も燃費がよくなる落としどころを探した結果、この高さを飛ぶことになりました。


速度v
速度vの単位は距離Lと合わせるためm/sを用います。

v= 1041km/h = 289m/s


角速度ω

ω =  v / L = 289 / 10000 =0.0289  [rad/s]

ω=0.0289 × (180/3.14) = 1.7 [deg/s]

イメージが湧きやすいよう角度の単位をラジアン(rad)から度(°、deg)に変換しました。

時速1041km/hで上空一万メートルの飛行機を見続ける眼球は、一秒間に1.7度回転するという結果になりました。

一秒間の眼球の回転角度がわずか1.7度なので、本当はすごいスピードで飛んでいるのに、地上にいる人間の目にはゆっくりに見える、というわけです。



野球ボールの角速度の計算        


次は野球のボールです。

[計算式]
先ほどと同様に、以下の式で計算されます。

    tan ω = v / L 

(ω:角速度、L:目から物体までの距離、v:物体の速度)

今回はv/L<<1ではないので、tanω≒ωは使えません。
そのため、アークタンジェント(tan^-1)で求めます。

   ω = tan^-1 (v / L) 


[計算結果]

距離L
ストライクゾーンを通過するボールを打者が見ると想定して、目からボールまでの距離は1メートルとします(L=1m)。

速度v
投球はリリースからホームベースに達するまでに十数キロ減速するので、初速150km/h以上の球でもホームベース上では140km/h程度になります。

    v= 140km/h = 39m/s


角速度ω

    tan ω =  v / L = 39 / 1 =39

    ω=tan^-1ω = 1.55 [rad/s]

    ω=1.55 × (180/3.14) = 88.5 [deg/s]

アークタンジェント(tan^-1)は自力で計算するのは大変ですが、エクセルや関数電卓を使うと簡単に求められます。

こちらもイメージが湧きやすいよう角度の単位をラジアン(rad)から度(°、deg)に変換しました。

時速140km/hで目の前一メートルを横切る野球ボールを見続ける眼球は、一秒間に88.5度回転しなければならない、という結果になりました。

飛行機と比べると53倍(=88.5/1.7)の速さで回転させることになります。

そのため飛行機よりもずっと速く見えるわけです。




打者はボールをそれほど見ていない

    
上記のように野球ボールを見続けるためには、一秒間に眼球をほぼ90度回転させなければいけないのですが、そんなに速く眼球を動かすことはできるのか。

というと、できないようです。


そのため打者は、こんなボールの見方をしているようです。



●リリース直後

まず打者はボールを視界の真ん中でピントを合わせてみることをせず、周辺視野で捉えています。
リリース前もボールではなく、肘の当たりをぼんやり見ています。
宮本武蔵が五輪の書において推奨している、「見の目弱く、観の目強く」は剣術に限らず野球のバッティングでも有効なわけです。

周辺視野は、解像度が低いためボールに書かれた文字を読んだり、ひげの一本多いドラえもんの絵が描かれているのをしっかり見たりすることはできませんが、物体の動きを捉えるのは視野の中心部よりも得意です。



●ホームベース数メートル手前

次に打者は投球軌道を予測し、ボールが飛んでくるはずのところにあらかじめ視線を先回りさせておきます。

ずっと追いかけ続けることはできないから、待ち伏せをするわけです。

そして予測通りの位置にボールが来れば、バッチリとピントが合って、まるで「ボールが止まって見えた」ように感じます。

逆に予想以上の変化をすると、待ち伏せした場所と全然違う所をボールが通過していくため、見失ってしまい、まるで「ボールが消えた」ように感じます。




●ホームベース上

そして最後、ボールとバットが衝突する瞬間、打者はボールを見ていません。

自分が振ろうとしているところと、ボールが飛んでくるところがずれていることに気づいたら、バットの軌道を修正しようとします。
しかし、人間が目で見て、脳で判断して、筋肉に指令を出して、筋繊維が縮んで体が動いて、バットの動きに反映されるという一連のことが行われるまでに、どうやっても0.1秒以上の時間がかかります。
そのため、インパクトまで0.1秒を切ったタイミングではもう、ボールを見ても見なくても打撃結果は変わらないのです。
見ても意味がないから、見てないのです。

またバットに当たるところまでボールを見ようとすると、頭は体と反対方向に回転します。
右打者の場合、真上から見て体は左回りに回転しますが、ボールを最後まで見ようとする人の頭部は右回りに回転します。
人間の頭部は6-7kgほどと、意外と重量があるため、体と反対に回転するとスイングの威力を鈍らせてしまいます。
見ない方がいいから見ないのです。

投手の中には、中日の大野投手のように首を横に振って投げる人もいますが、これは逆に頭部の回転により体の回転を加速させているのです。


実際ボールがバットに当たる瞬間をとらえた写真をみると、大半の打者の視線はボールよりも2メートルぐらい前方を向いています。中には、目をつぶっている人もいて面白いです。


(ライトスタンドへHRを打つ京田選手。中日スポーツWeb版より引用)









まとめ  

      
今回の計算結果のまとめです。

ボールを見る打者の目の動き

  • 人間の目は物体の速さを実際の速度vではなく、視線が回転する速度ωとして認識する
  • 上空の飛行機を見続ける眼球は、一秒間に1.7度しか回転しないので、ゆっくりに見える
  • 目の前のボールを見続ける眼球は、一秒間に88.5も回転しなければならないので、速く見える。
  • 人間の目ではボールを見続けることができないため、打者はそれほどよく見ずに打っている。








*****

少年野球のコーチからプロの解説者まで「ボールは最後まで良く見ろ」といいます。
実際には最後の最後は見ていないわけですが、わざと嘘をついているとは思えません。
頭の中の認識では最後まで見ているつもりなのですが、球が速すぎて人間の目ではとらえきれないものをそれでも何とかして打ち返そうとした結果、無意識で見ないようにしているため認識と実際の動きに齟齬が出るのです。

野球をやっている人なら、サヨナラヒットや大事な試合でのホームランなど、野球人生の中でも印象深い一打はスローモーションで記憶に焼き付いていると思います。


その記憶を、ゆっくりと反芻してみてください。


投手が投げボールが近づいてきてバットを振る。打ち返した打球が空を飛んでいく。
その間にボールがバットに当たった瞬間の映像が見えますか?

恐らくは見えないでしょう。

(私の場合は、一瞬真っ暗な映像が挟まれます。)








では、また。






2021年5月22日土曜日

第69回 ピッチトンネル選球眼クイズ2 (大谷投手編)

 




ピッチトンネル

ピッチトンネルとは最近注目されている、ホームベースの手間7.2mほどの空中に仮想される、投球軌道が通過する円です。


ピッチトンネルを通過する時点までの軌道がストレート(4シーム)に近いほど、打者は変化球を見分けづらくなり、その結果、被打率が下がり空振り率が上がることが統計データから明らかになっています。

なぜかというと、打者はピッチトンネルを通過するあたりでスイングを開始するためです。それよりも後ろのタイミングでスイングを開始すると、間に合わず振り遅れの空振りになります。

ピッチトンネル通過時点は、すなわち打者がボールを見極めるデッドラインなのです。

ピッチトンネル通過前に変化球だと気づかないと、ストレートだと思ってバットを振り始めてしまってから変化球だと気づいて泳いだようなスイングになったり、あるいはボール球だと思って振るのをやめてから曲がって来てストライクになったりします。

「選球眼が良い」というのは、単に視力が良いだけでなく、このピッチトンネルを通過するまでの投球軌道でコースや球種を見抜き、その後の軌道やタイミングを正確に予測できるということです。




選球眼クイズ 第2弾

今回は、リリースからピッチトンネルまでの軌道だけを見て、ホームベース上におけるボール到達位置を当てる「選球眼クイズ」の第2弾を作ってみました

トラッキングデータを基に、軌道シミュレータver.3.2で再現計算した大谷翔平投手の投球軌道を使います。



ルール説明

ルールはシンプルです。

あなたは今、打席に立っています。

ランナーは満塁で、2アウト、フルカウント

これから勝負の分かれ目となる、最後の一球が自分に向かって投じられます。

見逃した場合、ストライクなら三振でチェンジ、ボールなら押し出しで点が入るという状況です。


リリースからピッチトンネルまで、時間にして0.2秒ちょとまでの軌道を見てストライクゾーンに来ると思ったらスイングする。ボール球になると思ったら見逃す、の二択で答えてください。


例題

まずは簡単な例題を。

青枠がストライクゾーンです。下にあるのがホームベースです。

距離感のため、拾ってきたフリーの人物データを右打席と、ピッチャープレートに立たせてあります。本当はピッチングフォームのポーズをとらせたかったのですが、CADスキルの都合で突っ立たままです。また、なぜか頭部の上半分がなく、すこし不気味ですがあまり気にしないでください。

では、ストライクかボールか予想してみてください。


















例題の答え

正解はど真ん中のストライク。4シームです。

ストライクを選択した人は、ホームランで4打点です。ゆっくりベースを回りましょう。

ボールを選択した人は、見逃し三振です。肩を落としてベンチへ帰ってください。


第1問

では、ここからが本番スタートです。

第1問。

ピッチトンネル選球眼クイズ2-1








第1問の答え




正解はアウトローいっぱいのストライク。ストレートです。

ストライクを選択した人は、上手く右方向へ打ち返してタイムリー、2打点です。一塁ベース上でにっこりです。

ボールを選択した人は、見逃し三振です。次こそは打てるといいですね。



第2問

では、次にいきましょう。

第2問です。











第2問の答え





正解はインコースに入ってくるストライク。スライダーでアウトコースを狙ったものの、逆球です。

ストライクを選択した人は、レフトオーバーのフェンス直撃2ベースヒットで、3打点です。二塁ベース上ですまし顔をしながら、ヒーローインタビューのセリフを考えましょう。

ボールを選択した人は、見逃し三振です。勝負は時の運だと割り切って下を向かずにベンチへ帰りましょう。




第3問

では、最後の一球です。

第3問。

ピッチトンネル選球眼クイズ2-3









第3問の答え



正解は、真ん中低目に大きく外れるボール。ストライクゾーンからボールゾーンへと落とした、スプリットです。

ストライクを選択した人は、スイングを開始してから気づいて慌ててバットを止めようとするも、ハーフスイングをとられて空振り三振です。一応、ワンバウンド捕球で振り逃げできないか確認しておきましょう。

ボールを選択した人は、フォアボールで押し出し、1打点です。歓声を浴びながらゆっくり一塁へ向かいましょう。





******

いかがでしたか。

球が速すぎて良く見えませんでしたか?

それとも、ばっちり見極められましたか?




では、また。




2021年5月15日土曜日

第68回 大谷投手のスライダー軌道を、トラッキングデータから再現する

   



どれも一級品    


大谷投手は4シームの速さと、スプリットの落差が素晴らしいですが、スライダーもまた一級品です。

右打者のアウトコースに投げて空振りを奪うだけでなく、右打席側のボールゾーンから曲げて見逃しストライクをとる右打者に対してのフロントドア、左打者に対してのバックドアとしてもうまく使っています。

その曲り幅は大きくダルビッシュ投手にも匹敵するほどです。




はっきりした球


大谷投手は4シーム、スプリット、スライダーを投げます。

カーブやチェンジアップも投げますが、基本的にはこの3球種でピッチングを組み立てます。


速球は2シームやカットボールを投げずスピードで勝負する、スプリットは自由落下に近いほど大きく落ちる、そしてスライダーは横へ大きく曲がる。

どれもはっきりと異なる球種であり、これは芯を少し外して打ち取るよりも、空振りを奪うことに適しています。

きっと三振をとるのが好きなのでしょうね。




大谷投手4シームの軌道計算


今回は、そんな大きく横に曲がる大谷投手のスライダー投球軌道をトラッキングデータから再現計算してみます。


トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。

これら3つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回は大谷投手のスプリットについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。


[トラッキングデータ]

2018年MLBデビュー戦の平均値です。


     (引用元:Baseball Geeks)


[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプットは以下のようです。







[計算結果]

計算されたスプリットの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース上(x=18.44m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。







スライダーの特徴

大谷投手のスライダーの上下方向軌道は、自由落下とほぼ同じになっています。

これは前回のスプリットと同様です。

横の変化量は38cmと大きいです。

しかし、回転軸は完全なサイドスピンではなく、サイドスピンとジャイロ回転の中間を向いているため、これでも完全なサイドスピンと比べると約7割(cos45°=0.71)ほどの変化量に減っています。

これは大谷投手に限ったことではなく、ほとんどの投手のスライダーの回転軸は同様に、サイドスピンとジャイロ回転の中間を向いています。上投げの場合、完全なサイドスピン回転の球を投げるの難しいためだと考えられます。


レッドソックスの背番号0、オッタビノ投手のスライダーは驚くほど横に大きく曲がります。5月15日のゲームでは、大谷選手も打者として三振を喫していましたが、彼の投球をスローで見るとサイドスピン回転にややトップスピン成分が混じった回転軸をしており、ジャイロ成分が少ないことが分かります。




4シームとの比較

同じ角度でリリースされた4シームと比べると以下のようです。


縦にも横にも大きな差です。

縦の差が66cm、横の差が58cmです。

スライダーというと横に曲がる球というイメージのため、縦の差の方が大きいというのは意外な感じがします。

曲がる、だけではなく、曲がり落ちる、わけです。




3Dプロット

おまけの、3D動画です。

今回計算した投球軌道をCADソフトでプロットし、gif動画にしました。

スピードは実際と同じにしてあります。

投げた瞬間インハイに向かってきていた球が、アウトローのボールゾーンまで曲がり落ちていきます。





同じリリース角度で同時に投げられた4シームと一緒に表示したものが、以下になります。
縦、横の差に加え、スピード差によるホーム到達のタイミングにも差があります。そのため4シームに振り遅れないようなタイミングでスイングすると、泳がされてしまいそうです。









では、また。




2021年5月8日土曜日

第67回 大谷投手のスプリット軌道を、トラッキングデータから再現する

  



空振り率 No.1    


大谷投手は奪三振を多く奪う点でも優れています。

最も多い三振パターンは、追い込んでから低目のボール球になるスプリット(フォーク)を空振りさせるものです。

これはNPBでもはおなじみの、典型的な、いわば王道パターンです。

悪く言えばありきたりでありふれた手であり、良く言えば最も効果的な手ということです。

ツーストライクに追い込まれた打者はみな、次はスプリット来る可能性が高い、と予想しています。
にもかかわらず、振ってしまい空振りするのがスプリットという球種です。
空振り率は全球種中でNo.1の18.6%(*1)を記録しています。

(*1)参考資料:2021プロ野球オール写真選手名鑑、日本スポーツ企画出版社。
  20年シーズンNPB全体平均値。


落差とスピード


プロレベルの投手ならば誰が投げてもそれなりの威力を発揮するスプリットですが、大谷選手のスプリットはそこらへんのスプリットとはまたレベルが違います。

何が違うかというと、落差とスピードの両方を兼ね備えていることです。

4シームが160km/hの大谷投手は、スプリットも145km/h前後と高速です。普通の投手なら4シームの球速です。

140km/hを超える高速スプリットを投げる投手はNPBでもいますが、大抵は浅く挟む握りによりスピードを落とさないようにしており、その代償に回転数があまり減っておらず、小さく沈む程度の落差の球になっています。中日の勝野投手などはそのタイプです。
しかし大谷投手のスプリットは、トラッキンデータによると、自由落下に近いほどの落ち方をしています。

また普通の投手が140km/hのフォークを投げると、4シームとの球速差が小さいため、重力を受けている時間の差による落差も小さくなります。
その点、4シームが160km/hの大谷投手ならスプリットの145km/hとでも15km/h程度の球速差があるため、重力を受ける時間差による落差もしっかり得られます。


普通の投手ならば、浅く挟み球速を上げると落差を失い、深く挟んで大きく落とせば球速が落ちてしまいます。落差と球速、どちらか選べばもう一方を失うというトレードオフを迫られるわけです。

それを大谷投手はどちらも失わず、両方同時に手に入れているのです。



呼び名


ちなみに、昔のNPBでは前者のように浅く挟み、高速で落差の小さいものを「スプリット・フィンガード・ファーストボール(SFF)」と呼び、深く挟んで、130キロ前後で落差の大きいものを「フォークボール」と呼んで、別の球種として区別していました。
しかし今では、MLBではどちらもスプリットと呼ばれていることもあり、あまり区別されなくなってきているようです。
統一されて分かりやすくなるならよいことなのですが、最近では挟んで投げて落としているのに「これは、ツーシームだ」という人もおり、ちょっと混乱させられます。






大谷投手4シームの軌道計算


今回は、そんな速くて大きく落ちる大谷投手のスプリット投球軌道をトラッキングデータから再現計算してみます。


トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。

これら3つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回は大谷投手のスプリットについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。


[トラッキングデータ]

2018年MLBデビュー戦の平均値です。

     (引用元:Baseball Geeks)


[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプットは以下のようです。









[計算結果]

計算されたスプリットの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース上(x=18.44m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。

大谷投手スプリット軌道2018




スプリットの特徴

大谷投手のスプリットの上下方向軌道は、自由落下とほぼ同じになっています。

これは上向き揚力がほぼゼロであることを意味しています。

しかし、ボールの回転数を見ると4シームの2/3程度(1445/2219=0.65)あり、無回転に近いというわけではありません。

回転がかかっているのに上向き揚力がなく、自由落下に近い落ち方をしている、というのが大谷投手のスプリットの特徴です。

回転数かかっているのに上向き揚力がないということは、バックスピン成分を含まないような回転軸の向きだということです。今回の計算で求められた回転軸は上図のように、ジャイロ回転と、シュート方向のサイドスピン回転との間を向いています。ジャイロ回転は縦スラのように投手から見て右回りではなく、反対の左回りになっています。



4シームとの比較

同じ角度でリリースされた4シームと比べると以下のようです。

49cmもの大きな落差です。

4シームのホップ量が39cmなので、上向き揚力の差だけで36cm(=39-3)の落差が生まれ、さらに球速差による重力を受ける時間の違いにより13cmの落差が加わっています。

140キロ台中盤と高速のためスイング開始前に見極める時間が短く、4シームとこれほどの落差があるためスイングを開始してしまえば何とか当てようとしても当てることはほとんど不可能です。




回転軸で落とす

スプリットは上向き揚力が働かないようにして落とす球ですが、それをするための方法は2つあります。

一つは、今回の大谷投手のように、バックスピン成分を含まない回転軸で投げること。これはサイドスピン回転、ジャイロ回転、およびその中間の回転など様々です。

大半の投手は巨人やレッドソックスで活躍した上原投手のように、シュート方向のサイドスピン回転をしているようです。人差し指の方が中指よりも摩擦力が強いためか、あるいはリリースのときに前腕が回内するせいか、どちらかではないかと考えられます。

こちらの回転軸で落とす投げ方は、いつも自由落下軌道になるため、安定して大きな落差を生み出すことができます。

大谷投手も今シーズン2試合目、4月20日の登板では他の球が思うように投げらず四球を連発して苦しみながらも、唯一安定していたスプリットにより7三振を奪うことで4回を無失点で切り抜けていました。




回転数で落とす

もう一つは、回転数を減らすことです。4シームと同じような回転軸で投げる場合、指を広げて握るほど指の接する位置が回転軸に近づきます。それはモーメントアームが小さくなるということであり、そのため回転を生み出すトルクが小さくなります。

スプリットやフォークボールというと、この回転数を減らすほうのイメージが一般的だと思います。

こちらの投げ方の方はバックスピン回転による上向き揚力がいくらか働くため、自由落下よりも落差は小さくなります。

しかしこれは悪いことばかりでなく、回転数を調整することで小さく沈ませてストライクゾーンでカウントをとる球と、大きく落としてボール球を空振りさせる球を投げ分けることができます。また、4シームに近い回転軸のため、回転方向を見て球種を判断する打者に対しては有効です。



握りは同じでも回転はそれぞれ

スプリットやフォークボールの定義は人差し指と中指を開いてボールを挟む握り方と、落ちる球であることの2つだといえますが、その回転は人によりさまざまです。


元ロッテ小宮山投手や元中日の岩田投手は完全に無回転で、ナックルボールのような変化をする球を目指しましたが、成功率が低くものにはなりませんでした。小宮山投手は衰えの目立つ晩年の挑戦でダメ元のような感じでしたが、岩田投手はそうではなかったため、無回転フォークに囚われなければもっと活躍できたのではないかと、本人も周りも悔いの残る結果になってしまったのが残念です。

フォークの握りで無回転を投げるのこと自体も難しいのですが、それ以前に、NPBで助っ人外国人のナックルボーラーが活躍したという前例がないため、MLBよりも縫い目が低いと言われているNPBのボールでは揺れるような変化を起こしづらいのかもしれません。


楽天の田中投手や、横浜やマリナーズで活躍した大魔神佐々木投手は、全盛期には無回転を超えてトップスピン回転のフォークさえ投げていたとも言われています。

また、近鉄やドジャースなどで活躍した野茂投手はシュート回転でもスライド回転でも自在に操れたが、ワンバウンドした時に真っすぐ跳ねた方がキャッチャーが捕りやすいという理由で縦回転のフォークボールを投げていたそうです。






3Dプロット

おまけの、3D動画です。

今回計算した投球軌道をCADソフトでプロットし、gif動画にしました。

スピードは実際と同じにしてあります。




同じリリース角度で同時に投げられた4シームと一緒に表示したものが、以下になります。
振る前に見極めることの難しが伝わるでしょうか?






*****

次回はスライダーの再現計算をする予定です。






では、また。




2021年5月1日土曜日

第66回 大谷投手の投球軌道を、トラッキングデータから再現する

 


3年ぶりに復活    


投手、打者の二刀流としてもはや知らない人はいない程の知名度を誇る、大谷翔平選手。

しかし渡米後はケガがあり、MLBデビューした2018年前半に数試合投げた後、昨年まで投手としてはまともに投げられませんでした。

今年、ようやく二刀流が復活しました。

普通の選手ならば、ケガをした時点でもう投手か打者、どちらかに専念するよう強制されてていたことでしょう。

しかし彼は二刀流を続けることを許されました。

その要因の一つは、圧倒的な球速のおかげでしょう。



どちらも捨てられない 


時速100マイル、160.9km/hを超える4シームを投げられる選手に投手をやめさせるのは惜しい。

時速112マイル、180km/hを超える打球を高頻度で打つことのできる選手に打者を止めさせるのはあまりにももったいない。

投打どちらでもMLBトップクラス、したがって人類屈指の球速を叩きだすことができる彼だからこその扱いだといえます。



1種類の速球


近年のメジャーリーグや、プロ野球ではほとんどの投手がツーシームかカットボール、いわゆる動く速球を投げています。

そんな中、大谷投手は速球は普通のストレート(4シーム)のみです。
他はスプリット、スライダー、カーブ、チェンジアップなど、いずれも4シームよりも球速が10km/h以上遅い変化球のみを投げます。

大谷投手のストレートは球速のわりにバットに当てられる、と言われていますが、4シームの他に動く球を投げないのが一因かもしれません。


二刀流だから断念


なぜ動く速球を投げないのでしょうか?

器用な彼のことですから、覚えようとすれば、投げられるようになるでしょう。
でもそれをするとやることが多くなりすぎるため、あえてしないのだと推測されます。

投球練習だけでなく、バッティングや走塁の練習もしなければならないのに、細かい球種を増やしすぎると調整するための時間や体力がたらなくなる、と考え、絞るところは絞っているのでしょう。

打者として出場するときにはDHで守備につきませんが、これもやろうと思えばやれるだけの能力はあるが、時間と体力の関係で断念しているのでしょう。先日少しだけ守備につきましたが、これは大敗ゲームの終盤で他の野手を使わないための措置であり、試合前もキャンプでも守備練習はしておらず、また外野手用グラブを持っていなかったためチームメイトに急遽借りたそうで、予定していたものではありませんでした。

二刀流を成功させるために、断念すべきものはして、我慢するところは我慢している。一つのわがままを通すために、他はわがままを言わないわけです。
どこまで手を出しても大丈夫で、どこからは手を出さない方がよいのか、それを見極める感覚もまた、二刀流を続けて行けるかどうかの重要なポイントなのでしょう。



球速が一番の武器


でしょう、でしょうと、勝手な推測ばかり並べてしまいましたが、客観的な事実として言えることもあります。

彼の球は速い。
だから動かさなくても、球速で打者をねじ伏せられる、ということです。

MAX165km/h超は驚異的ですが、それ以上に先発投手投手として平均157km/hを投げられるところが高く評価されています。


今回は、そんな大谷投手のストレート(4シーム)の投球軌道をトラッキンデータから再現計算してみます。




大谷投手4シームの軌道計算


トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。

これら3つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。

今回は大谷投手の4シームについて、トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。


[トラッキングデータ]

2018年デビュー戦の平均値です。

     (引用元:Baseball Geeks)


[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプットは以下のようです。







[計算結果]

計算された4シームの軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとの、一番右はホームベース上(x=18.44m)におけるボール位置です。

灰色線は同じ球速の自由落下軌道で、これとの差が先のトラッキンデータにおける変化量となります。

大谷2018シーム



4シームの特徴

大谷投手の4シームの特徴は、おじぎ量が少なく直線軌道に近いことです。

トラッキンデータとして測定される、バックスピン回転の上向き揚力(マグナス力)によるホップ量は、40cm弱とMLB平均程度です。回転数がそれほど多くないためです。

しかし、球速が速いのでリリースからホームベースに到達するまでの空中を飛んでいる時間が短い、つまり重力を受ける時間が短いため、重力による落下量が平均的な球速の球よりも少なくなります。

そのためトータルでは平均的な球よりもおじぎ量が少なくなります。



ストレート、ではない

では直線軌道と比べるとどうでしょう?

上記のグラフに直線を破線で追加したものが、下図になります。


真っ直ぐに見えていた球も、実際には直線軌道と比べると40cm下へお辞儀しています

日本では「ストレート」や「直球」、あるいは「真っ直ぐ」と呼びますが、実際には真っ直ぐな軌道ではないのです。


この157km/hの球がリリースされてからホームベース上に到達するまでの時間はわずか0.4秒ほどですが、重力はその間にボールを79cmも落下させます。

それをバックスピン回転によるマグナス力が39cm上に押し上げ、落下量を40cmまで減らしている、つまり約半分ほどに抑えているわけです。

真っ直ぐ、あるいはホップしてさえいるように見える100マイル近い4シームは、実際には直線と自由落下のほぼ中間の軌道を飛んでいるのです。




敵は重力ではない


ストレートが文字通りの真っすぐではなく、直線よりもおじぎしているというのは現在では広く知られているところですが、初めて聞く人は驚くようです。

私も子供の頃、プロやメジャーリーガーのストレートが実際には重力に負けて下へおじぎしているという事実を知ったとき、やはり驚いたのと同時に信じたくないような、なにかがっかりした気持ちになったのをよく覚えています。

しかし、そんなことはどうでもよいのです。

投手が戦う相手は、時空のゆがみが生み出す重力場ではなく、同じ人間である打者です。

打者の目にどう見え、どう感じるのか。打てるのか、打てないか。そこが焦点です。



3Dプロット

おまけの、3D動画です。

今回計算した投球軌道をCADソフトでプロットし、gif動画にしました。

スピードは実際と同じにしてあります。やはり、速い、です。


大谷4シーム3Dプロット



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また他の球種についても次回以降、再現計算をしていきたいと思います。

次回はスプリットの予定です。





では、また。