2022年4月16日土曜日

第115回 打球音はいつ観客に届くか

 


打球速度

野球の打球速度は速く、ホームランになるような打球では140~170km/hです。さらに大谷翔平選手のような世界有数の強打者では180km/h台、ごくまれに190km/h台にまで達します。

とても速いですがこの世には、もっと速いものがあります。


音速

例えば、「音」です。

時速300キロを越えるF1では"音速の貴公子"という表現が使われますが、音波は車速よりもはるかに速い速度で空気中を伝搬します。そのため車がこちらに向かってくる場合、まず先に音が聞こえ、その後車が来ます。

音速は下式で計算されます。

c = 331.5 + 0.6×T -① :音速

(T:気温)

上記は空気中における伝搬速度で、温度が上がるほど速くなります。例えば気温20℃の時なら、

c = 331.5 + 0.6×20 = 343.5 [m/s]

であり、時速に変換すると

c = 343.5×3.6 = 1237[km/h]

となります。

音速は打球速度の7-8倍ほどです。


それでも時間はかかる

音速は上記のようにかなりの高速ではありますが、それでも光の速度(秒速30万キロメートル)に比べればずっと遅く、人間が知覚することのできるレベルです。

例えば救急車のピーポー音が車が近づいてくるときには音が上がり、遠ざかるときに下がるというドップラー効果は我々人間の耳でも聞き分けることができます。ドップラー効果は車が近づくときは音の波と波の感覚が狭まり波長が短くなり、遠ざかるときはその逆になるため起こります。車の速度が50km/h程度でも起こります。

一方光も同じ波なのでドップラー効果が起こります。救急車のランプから発せられる光は、車が近づいてくる時波長が短くなり青色の方へ変化し、遠ざかるときには波長が長くなり赤色の方へ変化します。しかしこれを我々が目で見て知覚することはできません。光の速度に比べ、救急車の速度がはるかに小さく波長の変化がごくごくわずかなためです。

つまり、音は高速であるが有限な速度であり、人間の知覚しうるレベルで伝搬するのに時間がかかる、ということです。

かみなりが光ってから、音が聞こえるまでにタイムラグがあるのもこのためです。




外野席にはホームランボールと打球音が届く

ボールをバットの芯でとらえると、カンッという甲高く心地のよい音がします。

この打球音も「音」ですから、100メートル以上離れた外野席の観客の耳に届くまでには多少のの時間がかかります。

一方ボールがバットに当たる瞬間の光景は「光」ですから、ほとんど瞬時に観客の目に届きます。

また打球速度は音速よりも遅いため、ホームランの場合打球音を聞いてからしばらくたってからボールが外野スタンドに届きます。

外野席の観客には、まず初めにタイムラグなく「光」景が届き、その少し後に打球「音」、さらにその後に打球が届きます。

今回は、これがどのぐらいの時間なのか、計算してみます。


打球音と打球の軌道計算

外野席の観客位置をホームベースから110メートルとし、そこへ打球音と打球が届くまでの時間を計算します。

[計算条件]

打球音の届く場所は上記で計算した音速に時間をかけることで、求められます。音は全方向に等速で伝わるため、音の発信源つまりミートポイントを中心点とした球面で広がっていきます。

打球の条件は、打球速度150km/h、完全なバックスピン回転の2500rpm、上向き30°、ポール際方向とします。軌道シミュレータver.3.2へのインプット値は以下のようです。




[計算結果]

打球音と打球の各時刻における計算結果は以下のようです。0.3秒まで0.1秒おきの位置、およびホームから110メートル位置の外野席に到達した時の位置と時間を示しています。

打球音vs打球速度


外野席の観客はボールがバットに当たってから0.32秒後、打球が10メートルほど飛んだときに打球音を聞く、という結果になりました。

外野席から目と耳を凝らしていればこのわずかなずれを体験できるはずです。

またホームランのボールは打球音を聞いた4.4秒後にスタンドへ飛び込んできます。


外野手は打球音で判断できるか

ボールを芯でとらえた時とそうでない時は、打球音が異なります。芯でとらえた打球は甲高い澄んだ音がし、芯を外すと低く鈍い音がします。

では、外野手がその打球音を聞いて、芯でとらえた伸びてくる打球か否か判断することはできるでしょうか?

上記の計算結果をみると、外野手が守っているホームベースから70~80メートル離れた地点に打球音が届くのは、ボールとバットが当たってから0.2秒以上後になります。打球に追いつくには少しでも早くスタートを切ることが必要なため、0.2秒も待って打球音を聞いてそれから走り始めるのは現実的ではないと考えられます。

では、すぐ近くで打球音を聞いている捕手が、大声で外野手に「芯で打ったぞー」と伝えればよいかと言うと、これもだめですね。声も音ですから、打球音と同じスピードで空気中を伝わっていきます。


三塁コーチからランナーへの伝達方法

一塁ランナーは二塁ベースを回る前にランナーコーチを見て三塁まで行くか、止まるか判断します。コーチは行けのときは手を回し、止まれのときは両手を広げ、ジェスチャーで伝達します。ジェスチャーは「光」の速度で情報が伝達します。

もし声で「行け!」と伝えたら、コーチからランナーまでは30メートル以上離れているので、秒速343.5メートルの音波はランナーの耳に届くまで声0.1秒ほど時間がかかります。

ジェスチャーで伝えた方が、声で伝えるよりも0.1秒早くランナーへ指示した情報が届くため合理的なのです。

一方で、三塁ランナーが内野ゴロでホームへ突っ込むか止まるかの指示は声で伝えます。

距離が近いのでタイムラグが小さく、そもそも背中を向けているのでジェスチャーが見えません。



Gif

上記の計算結果プロットを、gif動画にしてみました。コマ数の関係で後半カクカクになってしまいましたが、前半の音速の速さが伝わればと思います。

打球音vs打球速度gif


余談:打球音は存在しない

打球音とは言うものの、音源はバットの振動です。ボールではなくバットの方で音が鳴っています。木製バットと金属バットでは音が違うのもそのためです。

打球音というものは存在せず、「打バット音」というのが物理学的には正確な表現となります。ゴロが悪く、屁理屈っぽいので浸透しないでしょうが。




では、また。





2022年4月9日土曜日

第114回 牧田和久投手の超スローカーブ

 


遅いのに落ちないカーブ

カーブは最も遅い球種です。アンダーハンド投手はオーバーハンドにより球速がでません。

ゆえに、その2つが合わさったアンダーハンド投手のカーブは必然的に超スローボールになります。

牧田和久投手のカーブは100km/hを下回ります。

しかし、ただ遅い遅いだけではありません。

遅いのに落ちていかないのです。

アンダーハンド投手特有の低いリリースポイントから上に向かって投げられたカーブは、遅いのに下へ落ちていかず、浮遊感を持って横へ曲がっていく不思議な軌道です。



カーブの軌道再現計算

メジャーリーグ、パドレス時代の2018年に計測されたトラッキングデータを使用しました。球速、回転数から変化量がデータに合うよう回転軸を調整しています。

トラッキングデータの変化量はボールの回転で生じるマグナス力による変化量のみで、重力による落下量は含まれていません。同じ球速の自由落下に対する変化量です。

軌道シミュレータver.3.2へのインプット値、および計算結果のグラフプロットは以下のようです。

[インプット値]



[計算結果]


ホップするカーブ

縦の変化量は35cmです。カーブなのに上へホップします。しかもそのホップ量はストレートの16cm、スライダーの24cmよりも大きいのです。

オーバーハンド投手の投げるカーブが下へ曲がっていくのとは正反対で、牧田投手の全球種の中で最も大きく上へホップしていきます

オーバーハンド投手の投げる通常のカーブはトップスピン回転により自由落下以上に下へ変化していきます。対して、牧田投手のカーブはバックスピン回転により自由落下に比べ上にホップしていきます。オーバーハンドが「球速の遅さ+トップスピン回転の下向き揚力=大きく曲がり落ちる」に対し、牧田投手は「球速の遅さ-バックスピン回転の上向き揚力=あまり落ちない」です。

結果、遅いカーブなのに下へ曲がり落ちていかず、これが通常のカーブ軌道に慣れている打者を混乱させます。「遅い球=山なり軌道」という打者の経験からくる予測を裏切ります。

牧田投手のカーブは、オーバーハンドの投手には投げられない回転軸の球ですが、もし同じ回転軸の球を上から速い球速で投げられたら、ジャンセン投手のようなとんでもないライジングカッターになります。

回転軸はスライダーと似ていてスライド回転とバックスピン回転が混じった回転ですが、スライダーよりもジャイロ回転成分が少ないため、より大きくホップします。

NPB復帰後の2020年では、被打率.156で、スライダーと双璧となる変化球です。


当てられてもヒットにならない

面白いデータがあります。空振率が3.8%と低いのに、同10.9%のスライダーとほぼ同じ被打率です。

これは牧田投手のカーブは「バットに当てられてもヒットにならない」ということを意味しています。

なぜかを順に考えていくと、当てられてもヒットにならない→強い打球を打たせていない→強いスイングをさせていない→スイングを崩している→タイミングを外している、と行きつきます。

プロでは投げる人のほとんどいない100km/hを下回るスローボールの威力が、低空振り率なのに低被打率という結果に現れています。

そしてこのスローカーブを気にしだすと今度は、130km/hのストレートに手が出なくなります。



ストレートと見比べると

以前計算したストレートと交互に表示した3Dプロットgifで見比べてみると、以下のようです。(投手のCADモデルはオーバーハンドのままです。)



カーブがホップしていてストレートと上下の軌道があまり変わらないということは、投げた瞬間の軌道で見分けにくくなるということです。

オーバーハンド投手は基本的に水平よりも下向きの角度でボールを投げ出し、カーブのみ上向きに投げ出します。そのため意識していれば早い段階で打者は見分けが付きます。

牧田投手の場合はストレートもカーブも同じ上向きの近い角度で投げ出されるため、その点で見分けにくくなります。ストレートだと思って振ったら、ボールが全然来ずにタイミングを外されます。牧田投手のカーブは、上下の軌道差でなく、前後の奥行き方向の差で勝負するチェンジアップのような効果が大きいタイプの球です。


オーバーハンド投手と見比べると

次は、上から投げるオーバーハンド投手のカーブ(125km/h,2200rpm)と見比べてみます。交互に表示したものが、以下です。

オーバーハンド投手の球は高いリリースポイントから、トップスピン回転で下へ大きく曲がってきます。

30km/hも遅い牧田投手のカーブの方が落ちていかなず、浮遊感のある、不思議な軌道です。



では、また。






2022年4月2日土曜日

第113回 牧田和久投手のシンカー、再現計算

  


シンカー

アンダーハンド投手はシンカーの投球軌道もまた独特です。オーバーハンド投手のそれとは大きく異なる軌道で打者を幻惑します。

低いリリースポイントから上に向かって上がってきたからと思ったら、一転、鋭く下へ曲がり落ちていきます。ストレートの浮き上がってくるような軌道イメージしているとボールのはるか上を空振りしてしまいます。

昭和のレジェンドサブマリン山田久志投手や潮崎投手の決め球としても有名で、牧田和久投手ももちろん持ち球に加えています。

今回は牧田和久投手のシンカー軌道を、トラッキングデータから再現計算します。



シンカーの軌道再現計算

メジャーリーグ、パドレス時代の2018年に計測されたトラッキングデータを使用します。球速、回転数から変化量がデータに合うよう回転軸を調整します。

トラッキングデータの変化量はボールの回転で生じるマグナス力による変化量のみで、重力による落下量は含まれていません。同じ球速の自由落下に対する変化量です。

軌道シミュレータver.3.2へのインプット値、および計算結果のグラフプロットは以下のようです。

[インプット値]



[計算結果]

牧田和久投手シンカー軌道



シュート&ドロップ

縦の変化量は下へ13cmです。自由落下に比べてボール2個分ほど下へ変化します。

横方向の変化量は37cmで大きくシュートしています。

アンダーハンド投手の投げるシンカーの最大の特徴は、シュート方向に曲がる球が自由落下以上に下へ曲がるという点です。

回転軸は上図のように、シュート方向のサイドスピン回転と、トップスピン回転が混じっています。オーバーハンド投手ではこの回転軸の球を投げることは絶対にできません。薬指と小指が邪魔になるせいです。

例えば、ロッテ益田投手はシュートしながら鋭く落ちるシンカーを投げますが、回転軸をスローで見るとほぼサイドスピン回転をしています。トップスピン回転は入っておらず、縦の軌道は自由落下に留まります。

サイドハンド投手だったヤクルト高津監督の現役時代のスロー映像を見ると、リリース時の回内を利用してボールを上側をこするようにしてトップスピン回転を与えています。



スカイフォークは実在しない

漫画ドカベンに登場するアンダーハンドの里中智投手は、スカイフォークという魔球を投げます。

しかし実際にアンダーハンド投手でフォークボールを投げる投手はいません。

そもそもフォークボールは回転数を減らすことで、強いバックスピン回転でホップするストレートと比べて、相対的に下へ変化する球です。単体で見れば最高でも自由落下までの落差になります。

オーバーハンド投手のストレートは自由落下に対して40cmほどホップしているため、自由落下するフォークは落差40cmになります。(さらにこれに球速差による重力の落差が加わります。)

一方で牧田投手のストレートのホップ量は16cmです。仮に自由落下するフォークを投げられたとしても、その落差は16cmにしかなりません。これでは大した威力にならないため、落ちる球として縦の変化を付けるにはトップスピン回転を与え、自由落下以上に下へ曲げることが必要になる、と考えられます。


縦の変化を付けるためにも、またオーバーハンド投手が投げられずゆえに打者が見慣れていない回転の球を投げるためにも、アンダーハンド投手はシンカーをぜひ習得すべきです。




ストレートと見比べてみると(3D)

以前計算したストレートと交互に表示した3Dプロットgifで見比べてみると、以下のようです。(投手のCADはオーバーハンドのままです。)

シュート方向の変化量が同じくらいなので、真下に向かって変化していくような軌道です。


このボールゾーンへ変化していくシンカーを振らないようにすることと、インコースのストレートに振り遅れてつまらないようにすることを両立するのはかなりの困難です。






ではまた。