2021年3月27日土曜日

第61回 打席で前に立つと、変化球が曲がる前に打てるのか?

 変化球が曲がる前に打つ


左打者の天敵

左打者の多くは、左投手を苦手としています。

背中側から飛んでくるボールは見づらく、体が早く開いてしまうためだと言われています。

特に、左のサイドスローがアウトコースに投げるスライダーやカーブは、分かっていてもボール球に手を出し空振りをしてしまいます。



対応できなかった人

ゴジラ松井秀喜さんはNPB時代、三冠王に迫るようなものすごい活躍をしていましたが、左のサイドスローにはコケにされていました。

特に、当時阪神の遠山投手や、中日の小林正人投手にはまるで歯が立たず、彼らがワンポイントリリーフで出てくると、毎回同じようにアウトコースのボール球のスライダーを振らされていました。腰を引いて体を折り曲げ、左手を離して必死にバットを伸ばすのですが、まるで届かず空を切ります。年間で十打席以上対戦しても、ヒット1本打てるかどうかというレベルで打率は一割台かそれ以下に抑えられていました。

同じ巨人の左打者として活躍した阿部慎之助さんも、小林投手には完全に抑え込まれていましたし、さらに古くは昭和の時代、あの王貞治さんでさえも、永射保さんの左サイドスローから投げるカーブにはタイミングが合わず手玉に取られていました。


西武ライオンズで活躍したデストラーデさんは、左投手が苦手すぎてスイッチヒッターになりました。右打席でのスイングは、本来の左打席ほどの迫力はなくホームラン率も低下していましたが、それでも空振り三振を繰り返すよりはマシだと考えたのでしょう。

他にも左対左を避けるためにスイッチヒッターに転向した左打者は、少なくありません。




対応できている人

そんなNPBの歴史に延々と続く「左投手>左打者」の力関係ですが、中には例外もいます。

その一人が、中日の大島選手です。

2020年シーズンでは2年連続で最多安打のタイトルを獲得、空振り率はリーグで最も低く、三振率もリーグで2番目に低いという卓越したバットコントロールの持ち主です。

彼は、左打者でありながら、左投手に対するシーズン打率が.383と異常に高く、またホームラン1本にもかかわらず対左OPSは.927という高い数字を残しています。

左打者でありながら、左投手を苦にしない、どころか、カモにしているのです。



大島選手の対応策

なぜ大島選手は、他の左打者と異なり左投手を打てるのでしょうか?

理由はいくつかあるのでしょうが、その中に一つ、はたから見てもはっきりとわかる左対策があります。

それは、左投手のときだけ打席の前側に立つ、ことです。

チームメイトで同じ左打者の根尾選手がその理由と問うと、「逃げていく球を曲がりきる前にたたきたい。それと外の球が近くに見えるから。」(*1)と答えたそうです。


(*1)参考文献 : 中日スポーツ 2021年3月8日版 3面




前に立って、前で打つ


「変化球が曲がる前に打つ」というのは昔からよく言われていることですが、正直、ずっと絵空事だと思っていました。

しかし、プロレベルで実践して成功している人が実在しているのだから、正しい理論だったということです。

とはいえ打席の前側に立つのは極めて少数派であることから、誰でも真似できるものでも無いようです。



そこで、今回は打席の前側に立つことにより、変化球が曲がる前に打つことができるのかを検証していみたいと思います。


プロ打者のステップ幅とバッターボックスの前後幅から、踏み出し足がぎりぎり前にはみ出さないようにできる限り前に立った場合と、軸足が後ろにはみ出さないようにできるだけ後ろに立った場合では50cmぐらい前後位置に差ができるようです。
つまり同じバッティングフォームで打っても、立ち位置により、ミートポイントを最大50cm前に移動することができるわけです。

実際には投げた瞬間からボールには回転によるマグナス力が働き曲がり始めているため、「曲がる前」に打つ、というのは正確な表現ではありません。

そのため、ホームベースに近づくほど外へ外へと逃げていく軌道に対して、ミートポイントを50cm前にすることで、どれだけより体に近い位置で打つことができるか、を軌道シミュレータver.3.2でアウトコースのスライダーの軌道計算をして求めます。




左サイドスロー外角スライダーの軌道計算


[計算条件]

球速125km/h,回転数2500rpmのスライダーが、アウトコースのボールゾーンへ外れていくような角度でリリースするとします。左投手を想定しているため、y0>0になります。

4シームは参考です。




[計算結果]
左サイドスロー投手が投げた、左打者のアウトコースのボールゾーンへ外れていくスライダーの投球軌道計算結果は、以下のようになりました。

グラフ中の点は0.02秒ごとのボール位置を示しています。
右の拡大図には、通常のバッターボックス後側に立った場合を想定したミートポイント(x=18.0m)と、バッターボックス前側に立ち50cm前になった場合を想定したミートポイント(x=17.5m)におけるボールの位置を示してあります。

打席で前に立つ

ミートポイントを50cm前にすることで、左右位置は4.7cmホームベースに近づく、という結果になりました。

一方で、前で打つ分だけ、ボールがリリースからミートポイントに到達するまでに要する時間は0.016秒短くなるという結果になりました。



ボール2/3個分

つまり、今回の条件の場合、左打者は左投手のスライダーに対して、バッターボックスで50cm前側に立つことにより、ミートポイント到達までの時間が0.016秒短くなるのと引き換えに、4.7cm体の近くで打てる、ということです。

4.7cmというとボール2/3個分ぐらいの違いです。

かすりもしなかったのが、バットの先でかすってファールに逃げれるようになるぐらいの違いでしょうか。あるいはバットの先に当ててショートにぼてぼてのゴロを転がし、左打者であることを活かした内野安打が狙えるでしょうか。

また、バットの芯でとらえた時と、芯から5cm先端でとらえた時では、打球速度が6~7%程度異なる、というデータ(*2)もあります。

わずか数センチの差でも、高いレベルでぎりぎりの勝負をしているプロの打者にとっては確かな違いとして感じられているのかもしれません。


(*2)参考文献 : 科学するバッティング術、若松健太/柳澤 修監修、EIWA MOOK、2015年発行



ワンポイント、オンリー

さて、左のサイドスローは、左打者相手のワンポイントリリーフとして絶大な力を発揮しますが、その一方で先発投手として大成する人はあまりいません。

先述の遠山投手、小林投手、永射投手も先発としての実績は皆無です。

その理由は明確で、周知のとおり右打者には簡単に打たれるからです。

右打者にとっては、左打者の反対に、体の正面の方からボールが来るため軌道が見やすくなるからだと言われています。

加えて、今回の計算結果から、右打者は左打者よりも、左サイドスロー投手がインコースに投げてくる球をよりホームベース側で打てる、ということが導かれます。



インコースは前、アウトコースは後

バッターボックス内の同じ位置に立って、同じフォームでスイングした場合、アウトコースよりもインコースの方がミートポイントが前になります。体やバットの回転が進んだ状態でボールを捉えるためです。

平均してインコースの方がアウトコースよりも40cm程ミートポイントが前になる傾向がある、というデータ(*2)もあります。


つまり、サイドスロー投手が左打者のアウトコースに投げているのと全く同じ軌道の球を、右打者のインコースに投げた場合、右打者は打席の前に移動しなくても、左打者よりもミートポイントが前になるのです。

そしてその結果、同じように打席の後側に立っている左打者よりも、数センチだけホームベースよりのコースが甘い位置で打つことができるのです。

左打者が打席の前に移動することで得る効果を、右打者は何もしなくても得られているということになります。

これが左サイドスロー投手が右打者に打たれやすい原因の一つになっているのではないか、と考えられます。




死活問題

左には強く、右には弱い。はっきりとした傾向を持つ左サイドスロー投手は、左打者専門のワンポイントリリーフというポジションを確立することで、競争激しいプロの世界で生き残ってきました。

そんな彼らにとって、とんでもなく恐ろしいルール改正が迫っています。

MLBで2020年から導入された「ワンポイントリリーフ禁止」ルールです。これによりリリーフ登板した投手は打者3人と対戦、あるいはそのイニング完了まで交代できなくなります。

MLBで導入されたルールは右へならえでNPBにも導入される可能性が大です。そうなれば、左のサイドスロー投手たちは居場所をなくし、姿を消してしまうかもしれません。


とはいえ、MLBでワンポイント禁止ルールが、目的としていた試合時間短縮にあまり効果がないという結果も出ているため、廃止されるのではないかとも言われています。


個人的には、多様性もまた野球の魅力の一つだと思うので、ルールが廃止され、これからも左のワンポイントが活躍してくれるとよいなと願っています。






では、また。









2021年3月20日土曜日

第60回 中学一年生投手がぶつかる壁




天才少年の挫折


少年野球の時は普通に投げていれば打たれずピッチングなんて簡単、と思っていたのに、中学生に上がり野球部に入ったら、上手くいかなくなり苦労する投手が大勢います。

自分では天才投手だと思っていたのに、中学では投げさせてもらえず野手に転向させられるパターンも少なくありません。

中学生なると相手打者のレベルが上がるのは勿論ですが、加えてルールが子供用から大人と同じものに変わります。それが中学一年生投手の前に大きな壁として立ちはだかります。


JからMに


まず、ボールが変わります。

軟式であればJ号球から、大人と同じM号球になります。

J号球:重量 m=129g, 直径 d=6.8cm
M号球:重量 m=138g, 直径 d=7.2cm

重量が9g重くなり、直径が4mm大きくなります。

数字で見れば小さな差ですが、手に取って投げてみるとその感覚はまるで違います。



ボールの違いによる影響


球速
ボールに与える力積Pが同じと仮定すれば、ボールの重量mに反比例して球速vが落ちます。

P = m・v  :運動量保存

そのため、M号球になることにより球速の低下が起こる可能性があります。


回転数
指先がボールに与える力fが同じと仮定すれば、直径dに比例してトルクTは大きくなります。モーメントアームLはボールの半径(d/2)に等しいからです。

T = (d/2)・f


一方で慣性モーメントIは、重量mと直径dの二乗に比例します。下式は中実球のもので、軟式球は中空ですが、傾向としては同じです。

I = 2/5・m・(d/2)^2 


結果、ボールの回転数Nは重量mおよび直径dに反比例して減少します。

L = ∫T・dt ∝ d   : 角力積
I・ω = I・N/(2π) ∝ m ・d^2・N :角運動量
(ここで、ω:角速度、N:回転数)

L = I・ω:角運動量保存

上記三式より、

N ∝ 1/(m ・d)

 

そのため、M号球になることにより回転数の低下も起こる可能性があります。

 

曲がりやすさ
ボールの曲がりやすさは、重量mに反比例し、直径dの二乗に比例します。
(詳細はこちら(第39回)を参照ください。)

そのため、回転数Nの減少があっても、トータルではM号球の方が曲がりやすいと考えられます。




16から18.44に


ボール変更以上に影響が大きいであろうことが、ピッチャープレートからホームベースまでの距離、つまり、バッテリー間距離が長くなることです。

小学生:16m
中学生以上:18.44m

ホームベースまでの距離が2.44mも遠くなります。割合で言うと15%(18.44/16=1.15)の増加です。

実際に打席やプレートに立ってみるとかなり距離感の違いがあります。小学生の16mは、大人用18.44mマウンドの傾斜の一番前あたりになります。


 

距離の違いによる影響


距離が遠くなることにより、具体的にはどんな影響があるでしょうか?

一つは、距離が遠い分だけボールをリリースしてからホームベースに到達するまでの時間が長くなる、言い換えると打者が感じる体感速度が遅くなること、です。

もう一つは、ストライクゾーンへのコントロールが難しくなることです。




体感速度の計算


ソフトボールでは野球の18.44mよりもずっと近くから投げるため、実際の球速は110km/h程度でも、野球選手にとっての体感速度は160km/hにもなると言われています。

これと同じで18.44mでプレーしている人を基準にすれば、16mの距離から投げてくる小学生の球は実際以上の体感速度に感じられます。


では、どのくらいの体感速度になっているのか、軌道シミュレータver.3.2を使用して計算します。以下の手順で進めます。

まず、16mの距離でリリースからホーム到達までの時間を計算します。

次に、18.44mの距離で、到達時間が上記と同じになるよう、球速を上げてやります。この時の球速が体感速度となります。


[計算条件]

ベースとなる球は、100km/h, 1500rpmの4シームで、リリースポイントのX0を2.44m大きくしてやります。

100km/hは少年野球においてはかなりの剛速球で、ほとんど打たれないレベルです。



[計算条件]



[計算結果]

リアルスピード
小学生投手の体感速度


1/10倍スロー
中一投手がぶつかる壁


小学生が16mの距離から投げた100km/hの球は、0.55秒でホームベース上に到達します。(上図、水色)
18.44mの距離から投げて、これと同じ0.55秒でホームベース上に到達するのに必要な球速は、118km/hとなりました。(上図、緑色)

つまり、小学生の16mの距離から投げる100km/hの球は、体感速度では118km/hということになります。

118km/hというと高校生レベルのスピードですので、小学生の打者ではほとんどついていくことはできないでしょう。

しかし、中学に上がり18.44mの距離から投げることになった途端、100km/hの球はそのまま100km/hの球になります。
同じ100km/hの球を投げていても、小学生から中学生になり距離が広がることにより、体感速度118km/hが100km/hになってしまうのです。(上図、緑色から桃色になる。)

つまり、自分が中学生なった途端、打者が感じる球速は18km/hも遅くなるのです。

これを取り戻すには実際の球速を18km/h上げなければならないわけですが、いかに成長期といえども簡単なことではありません。




コントロール


的を狙うのは遠くに離れるほど難しくなります。

ストライクゾーンを狙うのも同じで、バッテリー間距離が広がればその分むずかしくなります。

なぜかというと、遠くに離れるほど的に当たるリリース角度の範囲が狭くなるからです。

上下のストライクゾーンは、中学になると相手打者身長が高くなるのに合わせて広がることで、距離が離れたことの影響が相殺されます。
しかし、左右のストライクゾーンは、中学生も小学生も同じ横幅のホームベースを使用するため、距離が離れた分だけ実質的に狭くなります。

では、小学生の16mと中学生の18.44mでストライクゾーンに入るリリース角度の範囲を、軌道シミュレータver.3.2でそれぞれ計算してみます。

計算条件は先ほどと同じ100km/h,1500rpmの4シームです。

[計算条件]


[計算結果]

18.44mと16mそれぞれの距離から、ストライクゾーンの左右両端ぎりぎりを通る軌道の計算結果は以下のようになりました。
中学生のストライクゾーン

小学生の16mでは、アウトコースいっぱいとインコースいっぱいにそれぞれ投げたとときのリリース角度Φの差は1.8度となりました。
つまり、ストライクゾーンに投げるためには、リリース角度のずれをこの1.8度以内に納めることが求められるということです。

一方、中学生の18.44mでは、1.6度です。

小学生よりも、中学生の方がストライクゾーンにはいる角度範囲が0.2度減っています。わずかな差のようですが、割合でみると11%減少(1.6/1.8=0.89)しています。

つまり、乱暴に言ってしまえば、自分が中学生になった途端、ストライクゾーンの横幅が11%狭くなるわけです。

慣れるまでは、フォアボールを連発したり、ストライクを取りに行き過ぎて球が真ん中に集まった結果痛打されたりするかもしれません。



いいこともある


中学生になると、ボールが重くなり球速が下がる、バッテリー間が広がり体感速度が下がる、さらにストライクゾーンの横幅が実質的に狭くなる、と悪いことばかりの計算を示してきました。

しかし、悪いことばかりではありません。投手にとって有利になることもあります。

変化球が解禁となるため、上手く投げればストライクからボールになる球を振らせたり、タイミングをずらして泳がせたりすることができます。
変化球の投げ方を工夫したり、配球を捕手と一緒に考えたりするのも野球の楽しみの一つです。

また少年野球では大抵、平地からの投球ですが、中学からはマウンド上から投げられるため体重を乗せて投げやすくなります。

さらに、塁間距離が広がることにより、ランナーは盗塁など気軽に走りづらくなります。走る速度より、送球の速度の方が当然速いですが、距離が広がることによりその差がより効いてくるようになるためです。




投手というポジションは誰でもできるものではなく、チーム内でも選ばれた選手だけが投げることを許されるという競争の激しさがありますが、逆に言えばチーム内で誰かは、投手になれるのです。

壁にぶつかっても諦めず、正し方向へ努力をすれば、きっとうまくいくことでしょう。






では、また。

2021年3月13日土曜日

第59回 リリースポイントを10cm前にすると、体感速度は何キロ上がるか?

 



できるだけ前で

メジャーリーグではトラッキングデータの普及により、ストレート(4シーム)の威力は、単純に球速だけでなく、回転数や回転軸など他の要素にも影響されるという考えが広がっています。そして、様々な指標が注目されるようになりました。

その中の一つに、「エクステンション」という指標があります。

これは、ピッチャープレートからリリースポイントまでの距離のことであり、どれだけ前でボールをリリースしているのかを表します。


ボールを前でリリースする方がよい、という考えは日本でも古くからあり、昭和の時代から、「投手は球持ちをよくしろ」、「できるだけ長くボールを持て」、と言われてきました。



V字回復に連動

メジャーリーグの前田健太投手は2017年シーズンの前半と後半で、成績が急下降した後、V字回復を果たしました。

その原因とされているのが、このエクステンションであると言われています。好調時と不調時ではリリースポイントが9cmも異なっていたそうです。


何が良いのか

では、なぜエクステンションが大きく、ボールを前で離す方がよいのでしょうか?


最初に思いつくのは、前で離すほどホームベースまでの距離が短くなるということです。

それにより、ホームに到達するまで時間が短くなるので、より球を速く感じる、体感速度が速くなる、というわけです。

バッテリー間の距離が短いソフトボールの球は実際よりも速く感じて、打ちにくいのと同じ理屈です。



そこで、今回はリリースポイントを前にすることで、ストレートの体感速度がどれくらい速くなるのか、を軌道シミュレーターver.3.2で計算してみます。



リリースポイントを前にした時の軌道計算

以下の手順で、リリースポイントを10cm手前にした場合の、体感速度を求めます。

まず、リリースポイントを10cm手前にしてリリースからホーム到達までの時間を計算します。

次に、元のリリースポイントからで、到達時間が上記と同じになるよう、球速を上げてやります。この時の球速が体感速度となります。


[計算条件]

ベースとなる球は、148km/h, 2200rpmの4シームで、エクステンション(軌道シミュレータの入力値xoに対応)は1.8mとします。


[計算結果]


計算結果は以下のようになりました。

グラフ中の点は0.02秒ごとの、一番右の点のみホームベース上(x=18.44m)における、ボールの位置を表しています。

また、軌道が重なって見にくくならないよう、30cmずつ上にずらしてあります。

エクステンションによる体感速度アップ


1km/h弱の効果


リリースポイントを10cm前にした時と、球速を0.94km/h増加した場合で、リリースからホームまでの到達時間が同じになりました。

つまり、リリースポイントを10cm前にすることによる、体感速度の増加は0.94km/hです。


たった、0.94km/hです。

10cmも前にしたのに、1km/h弱の効果しかありません。
意外な結果になりました。

148km/hの球が、148.94km/hになったからといって、バッターにとっての打ちづらさがそれほど変わるとは思えません。

リリースポイントを10cm前にするというのは、投手にとってピッチングフォームの大改造です。
無理にリリースポイントを前にすればフォームを崩して、球速が落ちたり、コントロールるを乱したり、ケガにつながったりとさまざまなリスクがあります。


距離の違い

確認のために概算をしてみます。

バッテリー間の18.44mから、エクステンションの1.8mを差し引くと、ボールが飛んでいく距離は16.64m(=18.44-1.8)となります。

ここからリリースポイントを10cm、つまり0.1m手前にした場合、ボールが飛んでいく距離の減る割合は、0.6%(0.1/16.66=0.006)です。
体感速度の増加は148km/h×0.006=0.89 km/hとなり、先の軌道計算結果と同程度になります。

リリースポイントを10cm前にしても、ボールが飛んでいく距離はわずか0.6%しか縮まらないため、体感速度もその程度しか増加しないわけです。


距離や、時間とは別の


今回の計算結果だけを見れば、リリースポイントを前にすることは体感速度アップにはほとんど効果がない、ということになります。

しかし、前田投手がエクステンションの増減により成績が上下したというのは事実です。また、MLB全体の傾向としてもエクステンションの大きさと被打率は相関があるようです。

であれば、リリースポイントを前にすることにより、ホームまでの距離や時間が短くなること以外の、別のよい効果があるのかもしれません

例えば長くボールを持つことで、ボールへ力を伝える時間が長くなり球速や回転数がアップするなど、です。
であれば、リリースポイントを前にするのは良い球を投げるための手段であり、目的ではないということになります。球速や回転数が変わらない、あるい低下させてまでリリースポイントを無理に前にするようなフォームへ改造するのは悪手ということになります。


打者は距離をとりたがる

一方、打者の方はどうでしょう?

プロのほとんどの選手はバッターボックスの一番後ろに立ちます。足の速い選手でも、一塁までの近さよりも、ミートポイントまでの距離を長くすることを選んでいるのです。

また、速い球に対しては流し打ちでミートポイントを後ろにすることでコンタクトする確率を上げています。

投手がリリースポイントを数センチでも前にしようとするのと同様に、打者はミートポイントポイントまでの距離が数センチでも長くなるよう工夫をしています。

そう考えると、やはり距離そのものが打ちやすさに影響しているでしょうか?


*****

リリースポイントを前にすると何がいいのか、距離が減るのがいいのか、球質アップに効果的なのか、結論がよく分からなくなってしまいました。


この世界で私の頭で理解できることはたかがしれています。ですが、それでも知りたいと思うことについてはいつまでも考え続けてしまいます。




では、また。




2021年3月6日土曜日

第58回 塁を回るランナーの体は、遠心力をどのくらい受けているのか?




外野に飛んだら膨らむ  


内野ゴロを打ったバッターは、真っ直ぐ一塁ベースへ走っていきます。真っ直ぐ走るのが、最短距離だからです。

一方、ツーベースヒットになるような外野へ飛んだ打球の場合には、真っ直ぐではなく、ファールゾーンの方へ斜めに走っていきます。そして、ベースの手前から曲がり始め、膨らんだ軌道でベースを駆け抜けていきます。

ベースのところで急に90度向きを変えるよりも、あらかじめ膨らんでおいた方が走軌道の曲率が大きくなり、体に作用する遠心力が小さく抑えられるからです。

この走り方は、オーバーランと呼ばれます。



もう一つの遠心力対策


ベースを回るランナーはオーバーランに加えて、もう一つ、遠心力に対抗する策を行っています。

ベースを踏むとき、ランナーは体をピッチャーマウンドの方へ大きく傾けているのです。

なぜ傾けるのでしょうか?

それは、体を傾けることで、足が地面から受ける反力の向きを斜めにし、曲がるための横向きの力を発生させているのです。

左に曲がるときの力のベクトル
この横向きの力を「向心力」といいます。

なじみのある「遠心力」は、この向心力と釣り合う仮想的な力、慣性力のことです。

走動作に限らず、曲がるとき曲がりたい方向に体や機体を傾けるというのは、重力のある地球上での常套手段です。

下向き重力と斜め上向きの地面反力を合成すると、上下方向の力が打ち消し合い、横方向の向心力のみが残るからです。

自転車もバイクも、曲がるときには車体を傾けます。

航空機も、ローリングしてバンク角を大きし、翼に働く揚力の向きを真上から斜め上向きに傾けることで、向心力を生み出しています。マッハを超える戦闘機では、ほとんど垂直近くまで機体を傾けて急旋回することもあります。



遠心力の計算 


では、全力疾走しながらベースを回るランナーの体には、いったいどれほどの遠心力が働いているでしょうか?

計算してみます。

[計算式]

遠心力は以下の式で計算されます。

Pc = m×v^2 / r ‐①

ここで、m:選手の体重、v:走速度、r:回転半径。

[計算結果]

体重m=80kg、走速度v=27km/h、回転半径r=9.0mとします。

Pc = 80×(27/3.6)^2 / 9.0 = 500 [N]

力の単位をニュートンから、なじみのあるキロに変換します。

Pc = 500 / 9.81 = 51 [kgf] : 遠心力

一塁ベースを回るをランナーの体には51kgfの遠心力が働いている、という結果になりました。



何Gの遠心力が働いているのか 


計算式①から明らかなように、遠心力は体重に比例します。体重が大きいほど、遠心力も大きくなるのです。
一方、体に作用する重力も体重に比例します。例えば体重80kgの体には、80kgfの重力が働きます。

そのため、重力と遠心力の比で考えてみます。

Pc/m=51/80= 0.64 

従って、一塁ベースを回るランナーの体には重力の0.64倍、つまり0.64Gの遠心力が作用している、ということになります。



人類最速の男  


さて、上記①式に見るように、遠心力Pcは走速度vの二乗に比例します。
そのため、速く走るほど遠心力は大きくなります。

地球上で最も速く走った人は誰か、と聞かれたら、多くの人は彼を思い浮かべることでしょう。

人類最速の男ウサイン・ボルト。

彼の最高走速度は11.6m/sにも達っします。時速に換算すると、41.9km/hです。

ガソリンエンジンもなく、筋肉だけでこれだけの速度を出すのはすごいことです。

これほどの速度で走るとき、いったいどれほどの遠心力が作用するのでしょうか?



ウサイン・ボルトの遠心力  


では、計算してみましょう。

彼は野球選手ではなく、陸上選手ですので、陸上のトラックを走っているときの遠心力を計算対象とします。

100m走ではまっすぐ走り、曲がらないので遠心力は作用しません。
①式で言えばr=∞でPc=0となります。

彼は200m走でも世界記録を持っています。

上記の最高走速度11.6m/sは、200メートル走でスタートから70m地点で記録された値ですが、200メートル走は最初にコーナー部を120m走り、その後直線部を80m走ってゴールするというルールになっているため、最高速度はコーナー部を走っているときの速度ということになります。

また、陸上トラックの回転半径rは37.898mと定められています。これは内側のコースでも外側のコースでも同じです。

[計算結果2]

体重m=94kg、走速度v=11.6m/s、回転半径r=37.898mです。

Pc = 94×11.6^2 / 37.898 = 335 [N]
Pc = 335 / 9.81 = 34 [kgf]

200m走でコーナーを走るボルトの体には、34kgfの遠心力が働いている、という結果になりました。

重力と遠心力の比も計算します。
Pc/m=34/94= 0.36。

200m走でコーナーを走るボルトの体に作用する遠心力は、0.36Gです。


つまり、200m走を人類最高速度で走っているウサイン・ボルトよりも、ツーベースヒットを打って一塁ベースを回る野球のバッターランナーの方が、ずっと大きな遠心力を受けているのです。

それは野球の方が回転半径がずっと小さいためです。



イチローは30度、ボルトは17度  


野球では走る距離を短くするため、なるべくオーバーランによる走路のふくらみを抑えて小さい回転半径で曲がろうとします。
その結果、大きな遠心力を受けることになります。

そしてそれに対抗すべく、大きく体を傾けるのです。滑って転んでしまわないぎりぎりまで傾けます。

下の写真は、ツーベースヒットを打って一塁ベースを回るイチロー選手(左)と、200m走でコーナーを走るウサイン・ボルト選手(右)です。
イチロー選手の体は30度と大きく傾いているのに対し、ボルト選手はその半分程度の17度しか傾いていません。
遠心力の大きい前者の方が、体の傾きもより大きくなっているわけです。





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以下はデータ参照元の補足です。

野球の回転半径r=9.0mは、ネットで一般公開されている愛知東邦大学の論文から引用したデータをもとに、以下のような作図で推測しました。
高校生のデータとのことなので、プロやメジャーリーガーの走路とは少し違いがあるかもしれません。




また、ウサイン・ボルトの走速度のデータは下記のネットで一般公開されている筑波大学のデータを参考にしました。
http://rikujo.taiiku.tsukuba.ac.jp/column/2016/67.html






では、また。