2021年6月26日土曜日

第74回 バレルゾーン最高角度の打球軌道計算


  




バレルゾーン

最近注目されている打撃指標に、「バレルゾーン」というものがあります。

簡単に言うと、ある打球速度以上かつ、ある上向き打球角度の範囲内にあるものは打率、長打率ともに高い傾向にある、というものです。



革命の発展

かつて一世を風靡したフライボール革命。

ピッチャー返しのような低いライナーが良いと考えられていた時代に、もっと高くフライを打ち上げる方がよいという、革新的な提唱でした。

日本でも巨人の岡本選手などフライボール革命を取り入れたことで、大化けした選手もいます。

バレルゾーンは、いわばこのフライボール革命の発展版です。

フライボール革命は、ゴロや低いライナーよりも高くフライを打ちあげた方が良いというものですが、ではどのくらい高く打ち上げたらよいのかということになると漠然としています。高く打ち上げても内野フライばかりではだめに決まっています。そのため結局は、各選手が試合や練習でたくさんの打球を打ち、最適な打球角度を自分で手探りで掴むしかありませんでした。

これに具体的な数値でこういう打球がよいと示したのがバレルゾーンです。



バレルゾーンの定義

バレルゾーンの定義はBaseball savantのwebページ上のGlossary(用語)に記されています。

日本語に訳すと以下のようです。

バレルゾーンに当てはまる打球は、打率.500以上、長打率1.500以上になる。

2016シーズンでは打率.822、長打率2.386であった。

バレルゾーンに入れるためには、打球速度は最低でも98mph(=157.7km/h)以上必要で、このとき打球上向き角度の範囲は26-30°である。

打球速度99mphで25-31°、100mphで24-33°と、打球速度が上がるほど、バレルに入る打球角度は広がる。打球速度が100mphから116mphの範囲では、1mph上がるごとに打球角度範囲は2、3°ずつ増える。

また打球速度に関わらず、8-50°範囲がバレルの閾値となる。



最後の一文は少し分かりにくいかもしれません。

まず、打球速度が上がるにつれバレルに入る上向き打球角度は広がっていきます。例えば、99mph(=km/h)で上向き32°の打球はバレルゾーンから外れますが、100mph(=160.9km/h)で上向き32°の打球ならバレルに入るというふうです。

しかし、打球速度の上昇につれ、バレルに入る上向き角度はどこまでも際限なく広がっていくわけではなく、8-50°の範囲で頭打ちになる、ということです。例え打球速度が200km/hだろうが、210km/hだろうが、バレルに入る角度は変わらず8-50°のままというふうです。



上限値

Baseball savantのwebページではバレルゾーンを示す図も見ることができます。

下図の赤い範囲がバレルゾーン(Barrel Zone)で、打球速度は120mphまで示されています。

大谷翔平選手の渡米後の最速打球が119mph(=192km/h)であり、これはMLBの計測史上5番目の速度です。そのため、この120mphあたりが実際に人間が打つことのできる打球速度の上限と考えるのは妥当です。

そのため120mph以上は図示されていませんが、上記の文章のように、8-50°の範囲がバレルゾーンとなります。

バレルゾーンの範囲内で最も高い角度の打球は50°で、その時の打球速度は120mph(=193.1km/h)です。




投手の頭上22m

しかし50°というのはかなりの角度です。

どのくらいかというと、センター方向に打つ場合、投手の頭上22mの位置に向かって打つような感覚です。(18.44×tan(50°)=22)

そんなに上向きに打ってしまえば、上がりすぎの打球になりそうな気がします。


そこで今回はこのバレルゾーン内で最高角度の50°で打ち上げた場合の打球軌道を軌道シミュレータver.3.2で計算し、どんな打球であるのか見てみたいと思います。




バレルゾーン最高角度の打球軌道計算


[計算条件]

上向き角度は範囲の上限値である50度、打球速度は193.1km/hです。

バレルゾーンの定義では、打球の回転について言及されていません。しかし回転は打球の飛び方に大きく影響を与えます。そのため今回は、以下3パターンを計算します。

バックスピンの高回転(2500rpm)と低回転(1000rpm)、無回転(ただしナックルのような変化は考えない)。rpmは一分間当たりの回転数の単位で、2500rpmは投球で言うとスライダー並の高回転数、1000rpmはチェンジアップ並みの低回転数です。トップスピン回転については高く打ち上げる場合にはかかることはないと考えられるため除外しました。

軌道シミュレータへのインプット値は以下のようです。





[計算結果]

バレルゾーン最高角度の打球軌道計算結果は以下のようになりました。

バレル最高角度打球軌道計算


バレルゾーンでは打球の横方向角度については言及されていません。そのためグラフ上にポール際打球を想定した両翼フェンス、およびセンター方向への打球を想定したセンターフェンスを合わせて示しました。



全部10割、40割

回転数、打球の左右方向にかかわらず全ての打球がホームランです。

打球の飛距離はどれも135m以上で、ホームベースから122m先にあるセンターフェンスを悠々と超えていきます。

そのため、この打球は打率10割、長打率は40割となります。

相手の外野守備力がどんなだろうと関係ありません。まさに夢の打球です。



打てるのか

もっともこんな打球が本当に打てれば、の話ですが。

一般的な傾向として、バットの軌道が投球軌道の角度と近いほど打球が速くなります。

投球軌道は水平に近い角度のため、水平に近いスイング軌道で打ち返すほど打球は速くなります。しかし、高い角度で打球を打ち上げるにはかなりのアッパースイングにしなければならず、投球軌道と大きく角度がずれてしまいます。

また、打球を高く打ち上げるもう一つの方法として、ボールの中心より下を打つというものがありますが、ボールの中心から離れたところを打つほど打球速度は遅くなってしまいます。

そのため、極端に高い角度で打ち上げることと、打球速度を上げることは、一方をとればもう一方を失うトレードオフの関係にあります。50度という高角度と193.1km/hという速い打球速度を両立することは難しいのです。

大谷選手が119mphを記録した打球もかなり低い弾道でした。

今回計算したような速くて高い打球を実際に打てる選手は、存在しないかもしれません。



逆転現象

さて、上記の回転数の異なる3つの打球軌道を示した計算結果のグラフをみると、面白いことが起こっています。

バックスピンがしっかりかかった高回転の打球よりも、無回転の打球の方が飛距離が大きくなっているのです。

高回転の飛距離は139mで、無回転はそれよりも4m大きい143mです。

通常ならばバックスピン回転がかかっている方が、上向き揚力により重力を打ち消すことで地面に落ちるまでの時間を長く稼げるため、遠くまで飛びます。

なぜ今回は反対になっているかというと、揚力がブレーキになってしまっているためです。

ボールが水平に飛ぶ場合はバックスピンの揚力は真上に向かって働きます。しかし今回のように上向きの角度で飛ぶとき揚力は斜め後ろ方向へ作用します。これは揚力は常にボールの進行方向に対して垂直な方向に作用するためです。

今回のように上向き50°ではボールに働く揚力の77%の力が後ろ向きのブレーキとして作用します。(sin(50°)=0.77)

頂点を超えて落下軌道に入ると揚力の向きは斜め前方になるため、今度は揚力により前方に加速されますが、この時点では抗力(空気抵抗)により打球が減速しており上昇時ほど揚力が大きくないため、前半の分を取り返すにはいたらず、全体として飛距離が減少します。

そのため、極端に高く打ち上げてホームランを狙う場合には、バックスピン回転をかけない方が有利なのです。


*****

次回はバレル範囲内の最低角度の打球軌道計算をする予定です。



では、また。

文字反転テスト











2021年6月19日土曜日

第73回 粘着物質による回転数増加でどのくらい投球軌道は変わるのか?

 


手のひら返し

MLBで「スパイダータック」がホットなキーワードとなっています。

ボールの滑りやすいMLBではルールで認められているロジンバックの粉よりも強力な滑り止めとして様々な粘着物質、主に松脂が使われ、MLB機構側もそれを黙認していました。

ところがここへきて急にそれらをルール違反として取り締まり始めたのです。

手のひらを返された選手たちはざわつき、中には恐慌状態に落ちいっている人もいます。


変わりすぎ

この背景にあるのがスパイダータックです。

ウエイトリフティング用の松脂よりもはるかに強力なこのすべり止めが使われ出してからというもの、不自然な回転数の増加や、著しい三振率の増加がみられるようになりました。回転数が増えれば4シームのホップ量が増え、変化球の曲りは大きくなるため三振の増加は回転数の増加に起因していると考えられています。さらに滑りにくくなることで制球もアップすると言われています。

MLB機構は野球の質が変わりすぎてしまうのを嫌います。

増えすぎたホームランを減らすためにボールを軽くしたことに続き、増えすぎた三振を減らすために滑り止めを規制することにしました。


ステロイド、サイン盗みと同列

しかしこの二つの変更は選手にとって全く違うものです。

前者はただの変更ですが、後者はルール違反者を取り締まるものです。

スパイダータック使用者はルール違反により実力以上の成績を収めている卑怯者だとの認識が広まっています。発覚すれば全ての実績と人間性を否定される勢いです。

スパイダータック使用者は今や、ステロイドでホームランを量産したジャイアンツのバリーボンズや、サイン盗みでシーズン200安打を打ったアストロズのアルトゥーベと同列にみなされるのです。

正義感と意地悪さを合わせ持つジャーナリストから会見でスパイダータックの仕様の有無を問われたある投手は言葉に詰まり狼狽し、それが世界中に報道されてしまいました。ある投手は取り締まりの発表前後で平均回転数が200rpmも減少し、打ち込まれるようになりました。


残念ながらスパイダータック使用者がいたこと、それにより回転数を増加させていたことは事実のようです。

そこで今回はスパイダータック使用の有無で変化球の曲りや4シームのホップ量など投球軌道がどれくらい変わるのか、軌道シミュレーターver.3.2で計算し検証してみたいと思います。



スパイダータックのスライダー投球軌道計算

まずはスライダーの曲りがどれくらい変わるのか計算してみます。

球速130km/h、回転軸はサイドスピン回転とジャイロ回転の中間とし、回転数はロジンバック使用時が2400rpm、ルール違反のスパイダータック使用時は200rpm増えて2600rpmとします。rpmは一分間当たりの回転数を表す単位です。

この条件で揚力係数CL、および抗力係数CDを変えて計算します。CL,CDは回転数/球速に比例するスピンパラメータSPに依存して変化します(詳細は第35回参照)。

ロジン        : N=2400rpm, SP=0.26, CL=0.229 ,CD=0.413
スパイダータック : N=2600rpm, SP=0.28, CL=0.245 ,CD=0.417

 

[計算条件]

軌道シミュレータver.3.2へのインプット値は以下のようです。


[計算結果]

スパイダータックにより200rpm回転数が増加した場合の投球軌道計算結果は、以下のようになりました。グラフ中の点は0.02秒ごとの、一番右端のみホームベース上(x=18.01m)におけるボールの位置を表します。

両者の差が小さいので拡大図も追加しました。

スパイダータック投球軌道計算スライダー

横への変化量が2.7cmアップしました。




スパイダータックの4シーム投球軌道計算

つぎは4シームのホップ量がどれくらい変わるのか計算してみます。

球速150km/hで、回転数はロジンバック使用時が2200rpm、ルール違反のスパイダータック使用時は200rpm増えて2400rpmとします。

この条件で揚力係数CL、および抗力係数CDを変えて計算します。

ロジン        : N=2200rpm, SP=0.20, CL=0.186 ,CD=0.401
スパイダータック : N=2400rpm, SP=0.22, CL=0.201 ,CD=0.405

 

[計算条件]

軌道シミュレータver.3.2へのインプット値は以下のようです。





[計算結果]

スパイダータックにより200rpm回転数が増加した場合の投球軌道計算結果は、以下のようになりました。グラフ中の点は0.02秒ごとの、一番右端のみホームベース上(x=18.01m)におけるボールの位置を表します。

両者の差が小さいので拡大図も追加しました。

スパイダータック投球軌道計算4シーム

上方向へのホップ量が3.0cmアップしました。




わずかな差でも

今回の計算ではスパイダータック使用によりスライダーの曲り幅は2.7cm、4シームのホップ量は3.0cmアップするという結果になりました。

わずかな差のようですが高いレベルで紙一重の勝負をしている人にとっては大きな差です。スライダーならばアウトコースのボール球を振ったとき、バットの先にぎりぎりかすってファールで逃げれていたのが、完全な空振りになる。4シームならばボールの下をかすってバックネット方向へのファールになっていたものが、空を切る。それぐらいの影響があってもおかしくありません。

スパイダータックにより通常より200rpm回転数が増えるという前提が正しければですが、ルール違反により実力以上の球を投げていた投手がいたのは事実、という結論に至ります。






では、また。




2021年6月12日土曜日

第72回 バレルゾーンの打球軌道計算


 


バレルゾーン

最近注目されている打撃指標に、「バレルゾーン」というものがあります。

簡単に言うと、ある打球速度以上かつ、ある上向き打球角度の範囲内にあるものは打率、長打率ともに高い傾向にある、というものです。



革命の発展

かつて一世を風靡したフライボール革命。

ピッチャー返しのような低いライナーが良い打球であり、ホームランはヒットの延長線上であると考えられていた時代に、もっと高いフライを狙って打ち上げる方がよいという革新的な提唱でした。

日本でも巨人の岡本選手など、フライボール革命を取り入れたことで大化けした選手もいます。

バレルゾーンは、いわばこのフライボール革命の発展版です。

フライボール革命は、ゴロや低いライナーよりも高くフライを打ちあげた方が良いというものですが、ではどのくらい高く打ち上げたらよいのかということになると漠然としています。高く打ち上げても内野フライばかりではだめに決まっています。そのため結局は各選手が自分で試合や練習でたくさんの打球を打ち、最適な打球角度を手探りで感覚として掴むしかありませんでした。

これに具体的な数値でこういう打球がよいと示したのがバレルゾーンです。



バレルゾーンの定義

バレルゾーンの定義はBaseball savantのwebページ上のGlossary(用語)に記されています。

日本語に訳すと以下のようです。

バレルゾーンに当てはまる打球は、打率.500以上、長打率1.500以上になる。

2016シーズンでは打率.822、長打率2.386であった。

バレルゾーンに入れるためには、打球速度は最低でも98mph(=157.7km/h)以上必要で、このとき打球上向き角度の範囲は26-30°である。

打球速度99mphで25-31°、100mphで24-33°と、打球速度が上がるほど、バレルに入る打球角度は広がる。打球速度が100mphから116mphの範囲では、1mph上がるごとに打球角度範囲は2、3°ずつ増える。

また打球速度に関わらず、8-50°範囲がバレルの閾値となる。



横方向の打球角度、レフト、センター、ライトどちらに打球を飛ばすかについては言及されていません。またピッチングにおいてはあれほど重視されているる回転数や回転軸についてもバレルの打球では一切、言及されていないのです。

打球速度と上向き角度。たった2つのパラメータだけでシンプルに定義されています。



高いハードル

しかし打球速度157.7km/h以上というのは、なかなか高いハードルです。

プロやメジャーレベルの打者でもしっかり強いスイングをした上で芯に近いところでとらえなければ出せない速度です。

しかも157.7km/hではぎりぎりバレルゾーン入る境界線、バレルゾーン内の最遅打球のため上向き打球角度は26度から30度のわずか4度という狭い範囲に入れなければなりません。

Baseball savantのwebページではバレルゾーンを示す図も見ることができます。下図の赤い範囲がバレルゾーン(Barrel Zone)で、157.7km/hのバレルゾーン内の最遅打球は最も内側の位置になります。


バレルゾーン閾値


今回はこのバレルゾーンにぎりぎり入る境界となるバレルゾーン最遅打球の軌道を軌道シミュレータver.3.2で計算し、どんな打球であるのか見てみたいと思います。




バレルゾーン最遅打球の軌道計算


[計算条件]

打球速度はバレル範囲内で最も遅い157.7km/h、上向き角度は範囲の中央値である28度とします。

バレルゾーンの定義では、打球の回転について言及されていません。しかし回転は打球の飛び方に大きく影響を与えます。そのため今回は、以下4パターンを計算します。

バックスピンの高回転(2500rpm)と低回転(1000rpm)、無回転(ただしナックルのような変化は考えない)とトップスピン回転(1000rpm)です。rpmは一分間当たりの回転数の単位で、2500rpmは投球で言うとスライダー並の高回転数、1000rpmはチェンジアップ並みの低回転数です。

軌道シミュレータへのインプット値は以下のようです。




[計算結果]

バレルゾーン境界、最遅打球の軌道計算結果は以下のようになりました。

バレルゾーン打球軌道計算

バレルゾーンでは打球の横方向角度については言及されていません。そのためグラフ上にポール際打球を想定した両翼フェンス、およびセンター方向への打球を想定したセンターフェンスを合わせて示しました。


回転かかれば10割、20割

ックスピン高回転の打球では、飛距離が123mとなりました。

この飛距離ならばセンター方向を除くすべての方向、ポール際でも左中間でも右中間でもホームランとなります。またセンター方向でも、よっぽどセンターが深く守っていたり、あるいは逆風が吹いていない限り、フェンス直撃の長打となります。

そのため、この打球は打率10割、長打率20割以上ということになります。

バレルゾーン内最遅打球であっても、しっかりバックスピンがかかればほとんど無敵の打球となるのです。


無回転でもホームラン

高回転から低回転、無回転とバックスピン回転が弱くなるにつれ、上向き揚力を得られなくなるため飛距離は落ちていきます。

にもかかわらず無回転の打球の飛距離は107mもあります。

レフト線、ライン線よりならばホームランやフェン直の長打になります。また右中間、左中間で2人の外野手の中間に飛んでいけば十分長打になるでしょう。


ドライブしても

ボールの上側を打ってしまうとトップスピン回転がかかり、カーブのように下向き揚力が働きます。そのため飛距離は伸びなくなってしまいます。いわゆるラインドライブの打球です。

トップスピン回転の打球の飛距離は97mです。無回転よりもさらに10m減っています。

この飛距離ではもはやホームランにはならないでしょう。可能性があるとすれば甲子園球場の本当にポール際のごく一部だけ極端に前へ飛び出しているところぐらいです。

回転による下向き揚力と重力の両方により下へ下へと曲げられていくため、飛距離は伸びないこの打球ですが、悪いことばかりではありません。

打球速度157.7km/hという速い打球に下向きの揚力が加わった結果、97mという大きな飛距離でありながら、打ってから地面にバウンドするまでの時間はわずか3.5秒です。


3.5秒はどれくらい短い時間でしょうか?

イチロー選手や中日の大島選手のようなかなりの俊足でも、打ってから一塁ベースを踏むまでの一塁到達タイムは4秒弱です。そのためおおよそ3.8秒で27mを走るとして概算すると、3.5秒の間に外野手が走れる距離は25mほどになります。実際の外野守備では打球判断のため打った瞬間から全力で走り出すことはできず、また走路も直線ではなく横方向へは走りながら前後位置を調整するため曲がったルートになります。そのためこの3.5秒の間に外野手が守備位置から打球落下地点に近づける距離は20mちょっとだと見積もられます。

ホームランにはならなくても外野の深い位置まで短時間で飛んでいくため、外野手に追いつかれる前にフィールド上にバウンドする確率が高く、ヒットや長打になりやすいというわけです。



*****

最遅打球ですらこれです、バレルゾーンはすごいものです。

次回はバレル範囲内の最高角度の打球軌道計算をする予定です。




では、また。











2021年6月5日土曜日

第71回 ナックルカーブと、普通のカーブの軌道を比較




人差し指を折り曲げて


最近注目を浴びている「ナックルカーブ」という球種があります。

握りは上の写真のようで、人差し指を折り曲げるところが普通のカーブの握りと異なります。

パワーカーブやスパイクカーブと呼ばれることもあるようですが、ナックルのように指を曲げて握り、トップスピン回転で大きく曲がり落ちるカーブのため、実態を分かりやすく表しているナックルカーブという呼称が最も定着しているようです。



試しに投げてみると


このナックルカーブと、普通のカーブ、どこが違うのでしょうか?

試しに自分で投げてみました。

その結果分かったことは、まず、とても投げづらいです。

曲がるとか曲がらないとか、それ以前に、地面にボールを叩きつけてしまいます。笑ってしまうぐらいまともに投げることができません。

ナックルカーブをメジャーからNPBに持ち込んで広めた元ソフトバンクの五十嵐投手も、自発的に投げようとしたわけではなく、当時のコーチに強制的に練習させられ、初めは違和感がありすぎて、「ふざけんじゃねぇ」(*1)と思ったそうです。

(*1)参照元:週刊ベースボールONLINE


もう一つ分かったことは、トップスピン回転がかかりやすいことです。
普通の握りで投げる時は意図的にトップスピン回転を与えるような投げ方をしますが、ナックルカーブの握りだと小指側を前にして腕を振れば、回転をかけようとしなくても勝手にかかるような感じです。
人差し指が当たっているところが回転中心として支えられるためではないかと考えられます。




普通のカーブとの違い


プロ野球やメジャーリーグの投手が投げている球はどうでしょう?

普通のカーブとの違いは、一般的な傾向項として以下2つがあるようです。

・球速は、ナックルカーブの方が速い。
 普通のカーブが120km/h前後に対して、ナックルカーブは130km/h前後。

・回転数は、同程度かナックルカーブの方がやや大きい。
 どちらも2000-3000rpm程度。


トップスピン回転をしっかりかけようとすると、球速は落ちてしまうのが常ですが、ナックルカーブのあの投げづらい握りには、トップスピン回転の球を速い球速で投げられる、というメリットがあるようです。

トップスピン回転のかかった速い球は、どのような飛び方をするでしょうか?

そこで今回は、ナックルカーブの軌道計算をし、普通のカーブと比較していみたいと思います。





一人で両方

ところで、ナックルカーブはカーブなので、普通の握りでカーブを投げる人はナックルカーブを投げないし、ナックルカーブを投げる人は普通のカーブを投げません。

一人で両方を投げる投手はいないだろうと思ったのですが、いました。

自らを変化球マニアと称する、ダルビッシュ投手です。さすがです。


ダルビッシュ投手のトラッキングデータから軌道を再現計算することで、同一人物が投げるナックルカーブと普通の握りのカーブがどう違うのか比べることができます。




ナックルカーブの軌道計算

[トラッキングデータ]

ダルビッシュ投手のナックルカーブ、およびカーブのトラッキングデータは以下のようです。2019年シーズンの平均値です。



図1:ダルビッシュ投手のトラッキングデータ
(引用元:ピッチングデザイン、集英社、お股ニキ著、2020年発行


図1に示されるように、トラッキングデータでは変化量に加え、初速と回転数も測定されています。

これら3つのデータから、軌道シミュレータver3.2により投球軌道を計算し再現することができます。トラッキングデータの初速と回転数をインプットとして計算した結果がトラッキングデータの変化量と一致するよう、回転軸の値を調整します。


[計算条件]

軌道シミュレータver3.2へのインプットは以下のようです。



ナックルカーブの回転軸は、普通の握りのカーブよりやや回転軸が水平に近くトップスピン成分が多くなっていますが、それほど大きな違いはありません。同じような回転です。


[計算結果]

計算されたナックルカーブおよびカーブの投球軌道は以下のようになりました。

図中の点は0.02秒ごとのボール位置を表しています。

両者は同じ角度でリリースされています。


ナックルカーブ軌道



普通のカーブとの比較


ナックルカーブと普通の握りのカーブを比べると、ほぼ同じような軌道になっています。

トラッキングデータの縦変化量を見ると、ナックルカーブが-36cm、カーブが-30cmとなっており、ナックルカーブの方がボール一個分弱大きくなっています。
しかし、軌道計算結果を見ると、むしろナックルカーブの方が落差が小さくより上を通過していきます。

トラッキングデータの変化量は回転による揚力(マグナス力)による変化量のみを表しており、実際の軌道ではこれに重力による落下が加わります。
その際、球速の速いナックルカーブの方が重力を受ける時間が短いため、重力による落下量が小さいので、このような逆転現象が起こります。



変化量/球速^2=キレ?


上記のように下方向への落差や横への変化量の大きさでみると、ナックルカーブは普通のカーブに比べて優れているわけではない、ということが分かりました。

そのためナックルカーブの優位性は球速にあると考えられます。

打者は経験的に、「遅い球ほど大きく曲がり、重力で大きくお辞儀する」という感覚を持っているため、普通のカーブよりも速いスピードでありながら普通のカーブ並みに曲がり落ちるナックルカーブの軌道に戸惑いを感じるのだと推測されます。

そうしてみると、変化球の"鋭さ"や"キレ"といった人間の感覚によってのみ語られるものも、変化量あるいは4シームとの軌道差を球速で割った値、あるいは揚力が球速の二乗に比例するため球速に二乗で割った値として、ある程度は数値化することができるのかもしれません。







CADソフトで3Dプロット


上記で計算した投球軌道を3D CADソフトを使ってロットし、gif動画を作成してみました。


視点はキャッチャー方向からのものです。

青い四角はストライクゾーンで、下の黒いのはホームベースです。

距離感のため、右打者と投手を模した人体データを立たせてあります。
今回は、ピッチャーを投球フォームっぽいポーズにして、マウンドも追加してみました。


速いナックルカーブと、緩い普通のカーブ、どちらが打ちにくそうですか?

ナックルカーブvs普通のカーブ軌道比較












では、また。